そこで、ピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたの言うとおりです。わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」ヨハネの福音書18章37節 (p.224)
序 論)
主イエスは一隊の兵士と下役たちに捕らえられ、大祭司カヤパと舅のアンナスのところに連れて行かれます。(12-13)
そこで審問を受けられました。(19-23)
次に、カヤパのところに送られます。(24)
その後の出来事と主イエスの言行を通して示されることは…
本 論)
1.総督ピラトに訴える者たち
主イエスは大祭司カヤパのもとから総督ピラトの官邸に 連れて行かれます。(28)
ユダヤの宗教指導者たちは官邸の中には入りませんでした。異邦人であるローマ総督の官邸に入ることは、儀式的に汚れを受けると考えられていたからです。
それでピラトの方が彼らのもとに来て、やりとりします。 (29-31)
当時、死刑執行権はローマ当局にあり、彼らにはその権限が認められていませんでした。それで、彼らは主イエスを総督ピラトのもとに送ったのです。そして、彼の力を借りようとしました。
ユダヤの宗教指導者たちは主イエスをローマ帝国に敵対する政治犯として訴え出たのです。
宗教的な汚れを避けようとした彼らの心はかえって神様のみ思いから遠く離れ、主への呪いや憎しみで満ちていたのです。
彼らのたくらみと後の総督ピラトの判断によって、主イエスの十字架刑が定められていきます。
それは人の思いを越えて、すべての人の罪を贖う神様のご計画が成されるためでした。(32) (ヨハネの福音書12章32-33節p209)
2. ピラトが主イエスを尋問する
ピラトは官邸の中に入り、主イエスを尋問します。(33)
「あなたはユダヤ人の王なのか」と。
主はピラトにそれは、自分の考えから出たものか、それとも人々の言葉からそう思ったのかと問われます。(34)
彼は、ローマ人である総督が見解を述べるべきことでもないと、主イエスの質問をまともに取り上げようとしませんでした。(35)
「あなたは何をしたのか」と問うピラトに対し、主イエスは「この世」のものではない「わたしの国」について語られます。(36)
ピラトにとっての「国」は地上の権力や武力を拠り所とする「この世の国」でした。
主イエスが言われる「わたしの国」は「神の国」であり神がご支配される所という意味です。
それは主イエスが十字架に上げられることによって確立される「国」です。
主の言われることが理解できない、ピラトはさらに「それでは、あなたは王なのか」と問います。(37ab)
実はこのとき、ピラトの方が主イエスをどのようなお方とするのかが問われていたのです。
しかし、ピラトは主イエスが救い主、神の国(天の御国)の王として来られたお方であることを悟ることができませんでした。
主はご自分が真理について証しするために生まれ、そのために来たと告げられます。(37)
ピラトは主に問い返します。(38ab)
そして、主イエスのうちに死刑に当たるような罪を何も見い出せない、とユダヤ人たちに告げます。(38)
さらに彼は過越の祭りの時の慣わしによって主イエスを釈放することを提案します。(39)
しかし、ピラトの願いに反し、人々はこぞって「強盗」バラバの釈放を要求しました。(40)
結 論)主イエスがここで言われる「真理」は原語では「真実」とも訳せる言葉です。
主は真実なお方です。(ヨハネの福音書14章6節p213)(テモテへの手紙 第二 2章13節p427
十字架と復活によって私たちの救いを成された主イエスは今も御国の王として天地を支配しておられます。
主は私たちにとっても信じ、従うべき王なるお方です。
主イエスを神の御子、救い主と信じ、私たち心の王座(中心)にお迎えし、従ってまいりましょう。