イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。 マタイの福音書4章19-20節 (p6)
序 論)ガリラヤのナザレからカペナウムに移られた主イエスは宣教を開始されました。(13、17)
主は「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と語られます。
主のガリラヤ宣教を通して示されることは…
本 論)
1.最初の弟子たちの召命
主イエスはガリラヤ湖畔でペテロ(本来の名はシモン)とその兄弟アンデレに出会われました。(18)(「ペテロ」は「岩」の意味。)
彼らは漁師でした。
主イエスは二人を招かれます。(19)
主は魚をとる漁師である彼らを「人間をとる漁師にする」と言われます。それは主に従い、主と共に行う宣教の働きへの招きでした。
彼らはすぐに主イエスに従います。(20)
「網を捨てて」は「漁師の仕事を辞めて」という意味です。
次に前の二人と同じように主は別の兄弟ヤコブとヨハネを呼ばれます。(21)
彼らは舟と父親ゼベダイを残して主イエスに従いました。(22)
ペテロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネはその仕事の 真最中に主によって召されたのです。
彼らは後に12弟子の中核になりました。 (マルコの福音書3章16-19節p70)
ペテロ、ヤコブ、ヨハネは弟子たちの中でも特に主イエスのみそばで仕え、共に歩みました。(マルコの福音書5章37節p75、マタイの福音書17章1節p34等)
2.ガリラヤ全域で宣教される
主イエスはガリラヤ全域を巡回し、ユダヤ人たちの生活の中心である会堂で教えられました。(23)(当時の会堂は地域の礼拝、教育、裁判の三機能を果たしていた。)
「御国の福音」は救い主(キリスト)の到来によって、神様のご支配が始まるという喜びの知らせでした。
主イエスの宣教はことばのみによるのではなく、ご愛と あわれみの力ある癒しのみわざを伴いました。(23)
主の評判はシリア全域(パレスチナの北部にある異邦人地域)に広まりました。(24)
それを聞いた人々は様々な病や悪霊のため苦しむ人々を 主のみもとに連れて来ました。(24)
主は彼らをも癒されました。
そうして広い地域から大勢の群衆が主イエスのみもとに集まって来ました。(25)
そして、彼らも主に従ったのです。
最初に主イエスに召された弟子たちも、主に従った大勢の群衆もまず主から宣教のことばである「御国の福音」を聞いたことでしょう。
主イエスは彼らに福音を語られ、招かれました。それを聞いた人たちが主を信じ、従ったのです。
結 論) 後に、主イエスはすべての人を罪から救うために十字架にかかって死なれ、復活されました。主イエスを信じる者は死からいのちへ移されています。(ヨハネ5章24節p186)
ここで言われる「死」は真の神様から離れ、交わりが絶たれている状態(霊的死)を意味しています。
ここでの「いのち」は神様との交わりの中で生かされる永遠のいのちを指しています。
「人間をとる漁師」とは、人々が主イエスを信じて永遠のいのちに生かされるため、宣教のことばを語り、イエス様が神の御子、救い主であることを証しする人です。
そのために主は私たちも、置かれている所に「遣わしてて」おられます。
今も主イエスは聖霊と聖書のみことばによって私たちに 福音を語られ、ご自身を信じ、従うようにと招いておられます。
私たちは、今、ここで主を信じ、従うことができるのです。
聖霊とみことばによって愛の注ぎと力をいただき主に従 い続けましょう。