マルコの福音書3章13~19節

あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、 あなたがたを任命しました。
                ヨハネの福音書15章16節 (p216)

序 論)
主イエスのもとに大勢の人たちが各地から集まって来ました。(10)
 主イエスは山に退かれ、祈りのときを持たれます。(13) (ルカの福音書6章12節p120参照)
 主は、信じ従って来た人たちを呼び寄せられました。                      
 その後、主のなされたことを通して示されることは…

本 論)
1.十二人を任命される
 主イエスは多くの者の中から特別に12名の弟子を選ばれ、「使徒」と呼ばれました。(14a)
 「使徒」は神様から「遣わされた者」という意味です。
 12人を任命された第一の目的は「彼らを自分のそばに 置くため」(14b)でした。
 主は彼らをみそばに置かれました。そして寝食を共に しながらみことばを伝え、お働きを見せ、教え、訓練されました。
 第二の目的は、「彼らを遣わして宣教をさせる」(14b)  ためでした。彼ら自身が福音を主から受け取り、やがて全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝える働きをするようになるのです。(マルコの福音書16章15節p105)
 第三の目的は「彼らに悪霊を追い出す権威を持たせるため」(15)でした。これは悪霊や罪にとらわれた人々を解放し、神の国を拡大するために必要な力でした。
 主イエスご自身が行われた奇跡や悪霊の追い出しを弟子たちも行えるようになさったのです。

2.十二弟子たち
 
16~19節は、主イエスから任命された12人の名前が 記されています。
 ペテロやアンデレ、ヤコブとヨハネはガリラヤ湖の漁師 たちでした。
 熱心党のシモンはユダヤ教を熱狂的に信じ、ローマ帝国の支配に強く反対する者でした。
 逆にマタイはローマに雇われて同胞から税を集め、ユダヤ人社会からは「罪人」と見なされていた取税人でした。
 シモンとマタイの二人は同じグループにいれば対立する立場の人たちです。しかし、主は彼らをも選ばれたのです。
 職業や立場だけでなく、弟子たちの気質もさまざまでした。
 福音書に数々のエピソードが記されているペテロは、行動的で、衝動的な性格がうかがえます。(マタイの福音書14章22-33節p29)
 主イエスから叱責されるときもありました。(マタイの福音書16章21-23節p34)
 ヤコブとヨハネの兄弟は「雷の子」と呼ばれるほど短気な性格であったようです。(17)(ルカの福音書9章51-55節p103)
 後に主イエスを裏切ることになるイスカリオテのユダも 選ばれています。
 選ばれた12人は決して特別に優れた者たちではなく、 それぞれに弱さや欠けを持つ普通の人たちでした。
 主イエスは地上で歩まれた間、いつも彼らと共におられ 指導し、最後まで愛されました。
 主イエスと共に過ごす間、彼らには多くの失敗もありました。そして、主が十字架にかかられるときには、みなその場から逃げ出してしまいました。
 そんな彼らに主が願っておられたのは、やがて彼らが 主の復活の証人となり、世界中に福音を宣べ伝えることです。(使徒の働き1章8節p232)
 それには12弟子たちが聖霊の降臨を待つ必要がありました。
 主はのちに彼らが聖霊によって立派な働き人になることを見通しておられたのです。

結 論) 主イエスは弟子たちをみそばに置かれたように、私たちも、日々、聖書を読み、祈ることを通してみもとに行き、主との交わりを深めていきます。
 主は今、私たちをも、それぞれの所に遣わしておられます。まず主のみもとでみことばをいただき、ご愛に満たされましょう。
 そのことによってさらに神様と隣人を愛する者へと造り変えられていきます。神様は私たちの姿を通して周りの人たちにみことばを伝え、主を証しする機会を与えてくださいます。
 みことばを語るのも主イエスを証しするのも、主との交わりを通し、ご愛と力をいただくことによってできるのです。
 主イエスご自身をさらに求めてまいりましょう。

          「12弟子の名前」
   ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネ
   ピリポとトマスとマタイたち、
   ヤコブとタダイ、シモンとユダ、
   バルトロマイが12弟子
   弟子たちは イェスさまの 
   お手伝いをしたのです。
   ぼくたちも イェス様の
   お手伝いをいたしましょう
         (『ふくいんこどもさんびか』13番)
         (曲は新聖歌250
        『世の波風いかに荒れて』と同じ)