マタイの福音書4章12~17節

「…闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。        マタイの福音書4章16-17節 (p5)

序 論)主イエスは荒野で悪魔の試みを受けられました。主は聖霊とみことばによってそれに勝利されました。(4章1-11節)
 その後、主はバプテスマのヨハネの投獄のことを聞かれます。(12)
 それ以降の主イエスの言行と旧約の預言者イザヤのことばを通して示されることは…

本 論)
1.民は大きな光を見、彼らの上に光が昇る
 ヨハネを投獄したのは当時のガリラヤの領主ヘロデでした。(マタイの福音書14章3-4節p28参照)
 主イエスはガリラヤに退かれます。(12)
    それはご自分にも塁が及ぶのを避けられるためではありませんでした。もし、そうであればヨハネを牢に入れたヘロデが治めるガリラヤを避けられたはずでした。
 ヨハネの投獄により、主はご自分が宣教の働きに立つべきときが来たことを確信されました。
 そして、ガリラヤに移られたのです。そこは肥沃(ひよく)  で人口が多く、交易も盛んでした。
 主イエスが育たれたのはナザレでしたが、そこを離れ、ガリラヤ湖畔の町カペナウムに移られました。(13)
 この福音書を書いたマタイはこれは旧約の預言者イザヤの預言の成就だと語ります。(14a)
 「ゼブルンとナフタリ」(14)はナザレやカペナウムがある地域にかつて住んでいた部族の名です。
 ガリラヤは以前は北イスラエルの地でした。しかし、アッシリアに滅ぼされてその支配下に入りました。(BC722年)
 イスラエルの民の指導者層の人たちはティグリス川流域 (現在のイラク)に捕囚となり、代わりに他の民族がサマリア(ガリラヤより南の地域)に移送されました。
 そのためユダヤの人たちがガリラヤを「異邦人のガリラヤ」(14)と呼び、さげすむようになりました。
 外国の侵入や偶像崇拝の影響を受けた民は「闇の中」、 「死の陰の地」(霊的暗黒の中)にいたのです。
 しかし、やがて彼らは大きな光を見、彼らの上に光が昇 る、とイザヤは預言しました。(15)

2.宣教の開始
 
主イエスこそ、イザヤの告げた光として、この地に来てくださったお方です。 (ヨハネの福音書8章12節p195)
 主イエスはナザレからカペナウムに移られた時から宣教を開始されました。(17)
 闇の中に住んでいた人々が、救い主イエス様の宣教によって偉大な光を見たのです。
 「悔い改め」は、自分の言動をただ悔いることではありません。神様に心を向け、神様に立ち返ることです。
 それは「天の御国」の到来によってなされます。ここでの「国」は「主権」や「支配」を意味する言葉です。
 「天の御国」(神様のご支配)の到来は主イエスが地上に 来られ、宣教を開始されたことから始まりました。

結 論) 「ヨハネが捕らえられた」(12)の「捕らえられる」は原語では「引き渡される」という意味の言葉が使われています。
 この言葉は後に主イエスが宗教指導者に「捕らえられ」、総督ピラトやローマの兵卒に「引き渡される」ときに用いられていて、主の十字架の死を暗示する言葉です。
 主イエスはすべての人を罪の闇から救い出すために、引き渡され、十字架にかかられたのです。
 私たちもかつては、神様を知らず、罪と死の暗闇の中に いた者でした。
 しかし、主イエスは私たちのもとにも来てくださいまし た。私たちも主を信じ、主によって闇から光の中に移され たのです。(エペソ人への手紙5章8節、14節p390)    主に心を向け、信じ受け入れるとき、私たちは聖霊によってうちに光をいただきます。
 主イエスとともに歩む私たちは、まだ主を知らない人たちにとっての光、「世の光」とされているのです。主の光に照らされ、光をうちにいただいて歩み続けましょう。

(参考)
   「私たちの主であり師であるイエス・キリストが「あなたがたは悔い改めなさい」と言われたとき、イエスは信じる者の全生涯が悔い改めであることをお望みになったのである。」(1517年 ルター「95箇条の提題」第一条)

     『マルティン・ルター』(岩波新書2012年)
                    (徳善義和(1932-2023)著)