私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。 マタイの福音書3章11節 (p4)
序 論)マタイの福音書は3章から主イエスの公生涯が記されています。
前半(1-12)は主が公生涯を始められる前にユダヤの荒野やヨルダン川周辺で活動していたバプテスマのヨハネがどのような人だったかが語られています。
彼の言行を通して示されることは…
本 論)
1.人々に悔い改めを呼びかけ、洗礼を授けた
ヨハネがここで語った「悔い改め」は、神様に立ち帰ること、神様に心を向けることです。(2)
「天の御国」は、「神の国」と同じ意味で用いられています。「国」の原語は「主権、支配」を意味する言葉です。
当時のユダヤ人たちは、悔い改めを必要とするのは神様を知らない異邦人だと思っていました。
しかし、ヨハネはユダヤの民に対し、悔い改めるようにと呼びかけました。
ヨハネは約700年前に預言者イザヤが語った「荒野で叫ぶ者の声」でした。(3) (イザヤ書40章3節p1230)
神様はヨハネに「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにする」こと、まもなく到来される救い主をお迎えする道備えをする役目を与えられていました。(3)
ヨハネの服装は旧約の預言者エリヤを思い起こさせ、食事も質素なものでした。(4)(列王記 第二 1章8節p648)
このときバプテスマを受けることを願って集まって来た大勢の人たちの中には当時の宗教指導者である「パリサイ人やサドカイ人」たちもいました。(5-7a)
ヨハネは自分たちはアブラハムの子孫であるという彼らの特権意識を指摘し、現在の自分たちの生活が悔い改めの実を結んでいるのかと鋭く問いました。(7-9)
2.後に来られる救い主を証しした
神様は「これらの石ころ」(神から遠いと思われていた異邦人)から真の「アブラハムの子(子孫)」(神の子とされる人たち)を「起こすことができる」お方です。(9b)
さらにヨハネはキリスト(救い主)の到来による彼らへのさばきを予告します。(10)
当時、バプテスマのヨハネが救い主ではないかと考える 人たちもいました。
しかし、彼はあくまでも「私の後に来られる方」の先駆者で、救い主は自分がしもべとして仕える価値がないほど偉大なお方だと証ししました。(11)
ヨハネのバプテスマは、罪の告白に基づく、悔い改めのしるしである「水のバプテスマ」でした。
しかし、救い主は「聖霊と火のバプテスマ」を授けられます。(11)
物を溶かしたり、焼き尽くす「火」は罪をきよめる聖霊の役目を象徴しています。
救い主は信じる人々に聖霊を注ぎ、心をきよめ、新しい力で満たしてくださるのです。
「箕(み)」は木製の大きな熊手状の道具で「脱穀場」の「麦」と「殻(から)」(もみがら)を空中にほうり上げて風で吹き分けるときに使われていました。(12)
「麦」は悔い改め、キリストを信じて救いの恵みにあずかった者、「殻」はそうでない者を表しています。
ヨハネは人々にこのように警告を与え、悔い改めを迫る 使命が与えられていました。
結 論)ヨハネが予告した通り「私の後に来られる方」救い主イエス様は来られ、公生涯を始められます。
そして、約三年間、弟子たちと共に宣教の働きをされた主イエスは十字架の死と復活によって救いのみわざを成し遂げてくださいました。
主イエスを信じる者に聖霊が与えられます。 (使徒の働き2章37-39節p236)
バプテスマのヨハネはイエス様を指し示し、証ししました。
聖書は救い主イエス様を証しする書です。 (ヨハネの福音書5章39節p187)
私たちは聖霊のお働きによって旧約聖書、新約聖書のみことばが明らかにされイエス様への信仰が与えられました。
私たちも聖書のみことばを伝えることを通して救い主イエス様を証しする者とさせていただきましょう。
(参考)
『イーゼンハイム祭壇画』
(ドイツの画家マティアス・グリューネバルト制作)
(1512-1516)