協力教会講壇交換礼拝
説教者:田上篤志牧師(宇都宮共同教会牧師)
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。 ヨハネの手紙 第一 4章18節 (p483)
「愛には恐れがありません」
この言葉を勘違いして理解しないように気をつけましょう。どういうふうに勘違いするのか。たとえば、夫妻のこんな会話を思い浮かべてみてください。ある夫妻のところに遊びに来ていた友だちに夫が冗談半分にこう言うのです。
――うちのかみさんは怒らせると恐ろしいからなあ。すると妻がこう言う。
――あなた、聖書には「愛には恐れがありません」と書いてあるじゃありませんか。あなたが私を恐れるのは、私に対する愛が足りないからじゃないの? あなたが本当に私を愛しているなら、私を恐れるはずはないでしょう。こう言われたら、夫としては返す言葉がありません。しかし繰り返すようですが「愛には恐れがありません」という聖句をそのように理解するのは誤解です。今朝の聖書にあります「愛」は、私たちが誰かを愛するときの愛ではなく、神の愛のことを示しているからです。
神の愛がもつ力の一つのことを聖書は「全き愛は恐れを締め出します」と語ります。
ある施設の入口に「禁煙」とか「関係者以外立ち入り禁止」と書かれている看板があったとしましょう。こうした看板は、禁止ということだけでなく、こう言い表してもいるのです。――この施設には喫煙者はいません。――この場所には関係者以外の人はいません。ですからもし、たばこを吸う人がいたら――ここは禁煙ですよ!と締め出されるでしょう。立ち入り禁止になっている場所に、関係者でもないのにのこのこ入り込んで行けば、やはり締め出されてしまいます。それと似たこととして、神の愛は恐れを締め出すのです。これは、まことに尊い福音といえるのではないでしょうか。
私たちに問われるのは、恐れを締め出してくれる神の愛に対する信仰の姿勢です。「愛において全きもの」とは、私たちが完全な愛の人になることではなくて「驚くばかりの恵み」と歌われるほどの完全な神の愛を、感謝と信頼をもって受けとめ生きる人のことです。そのような人にならせていただこうではありませんか。恐れを締め出してくれる愛のなかに、共に生きて行こうではありませんか!