またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。
ヨハネの福音書17章22-23節 (p221)
序 論)ヨハネの福音書17章は受難週の木曜日の夜、主イエスが祈られた祈りのことばが記されています。
父なる神様とご自身の栄光が現わされるように、と祈られた(1-5)主は続いて弟子たちのためにとりなされました。(6-19)
最後に主は後に主を信じるようになる人たちの一致のために祈られます。(20-26)
この祈りのことばを通して示されることは…
本 論)
1.信じる者が一つとなるように
「この人々」(20)とは主イエスの弟子たちのことです。
「彼らのことば」は弟子たちの語る福音を指して言われて います。
ペンテコステ以降、弟子たちが福音を語り、それを聞いた人たちが主イエスを信じる者とされます。
主はご自身が遣わされた弟子たちの宣教を通して信仰が 与えられる人たちのためにも祈られたのです。
主は弟子たちが一つになることを願われました。(11)
ここでは新たに群れに加わる信仰者たちを含めたすべての人たちの一致を願って祈られます。(21ab)
それは父なる神様と御子イエス様が一つであられることを模範として信じる人たちの一致を願われます。
その一致の基礎は、彼らが御父と御子のうちにいることです。そのことによって世の人々が主イエスが神から来られた方であることを信じるようになります。(21cd)
主の十字架において現わされた栄光が、主を信じる者たちに与えられました。それは彼らが一つになるためです。 (22)
2.父なる神の愛が主イエスを通して注がれる
主イエスは弟子たちのうちにおられ、父なる神様は主の うちにおられます。(23a)
それは彼らが完全に一つとなるためです。(23b)
またそれによって父なる神様が御子イエス様を「世の救い主」として遣わされたことを世の人々が知るためです(23c) (ヨハネの福音書4章42節p184)
そして御父が御子を愛されたように彼らをも愛されたことを世の人々が知るためです。(23c)
さらに主イエスはご自身を信じる者たちが主のおられる所に一緒にいることを願われ父なる神様に祈られます。 (24ab)
地上に来られる前(受肉前)の御子は御父と共におられ、 御父から愛され、栄光に輝いておられました。(24)
地上に来られた御子イエス様は、十字架の死と復活、昇天によって再び栄光を受けられます。
主イエスは父なる神様に「聖なる父よ」(11)、「正しい父よ」(25)と呼びかけて祈られました。
世の人々は神様がどのようなお方かを知りませんでしたが、御子は御父から永遠に愛され、神様が聖であり義なるお方であることをご存じでした。(25b)
そして、主イエスを信じた人たちは父なる神様が主を地上に遣わされたことを知っています。(25c)
主は御父がどのようなお方かを彼らに知らせられました。 これからもそれをなされます。それは父なる神様の愛が彼らのうちにあり、主が彼らのうちにおられるようにするためです。(26)
結 論) 教会が一つになる基礎は私たちが主イエスと共に歩むことです。
共に礼拝をささげ、聖書のみことばを分かち合い、祈り、主と教会に仕え、交わる中で私たちは一つになるように導かれ、主によって育てられていきます。
神様が私たち一人ひとりを成長させてくださいます。 (コリント人への手紙 第一 3章7節p329)
主イエスは今も私たちが一つになるために祈っておられます。
喜びを分かち合い、苦しみや悩みを担い合い、それぞれが今置かれた所で、神様がお与えになった務めや課題に取り組んでまいりましょう。
(参考)
由木 康(ゆうき こう)(1986-1985)牧師、讃美歌作詞者
『パンセ』(パスカル)の翻訳
『私の内村鑑三論』著書