わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった人たちのためにお願いします。彼らはあなたのものですから。わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。 ヨハネの福音書17章9-5節 (p220)
序 論)受難週の木曜日の夜、主イエスは弟子たちに語りかけられ、その後、天を見上げて祈られます。
父なる神様とご自身の栄光が現わされるように、と祈られた(1-5)主は続いて弟子たちのために祈られます。(6-19)
今回の箇所を通して示されることは…
本 論)
1.弟子たちのためにとりなしの祈りをされる
ここでの「彼ら」(9)は弟子たちのことです。主は彼らを 「あなた(父なる神様)がわたし(主イエス)に下さった人たちたち」(9)と言われます。
主は「彼らによって栄光を受けました」(10)と祈られます。
まもなく主は十字架で死なれ、復活、昇天され、神様のみもとに行かれます。(11ab)
主イエスは地上に残される弟子たちのために「わたしに 下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください」 (11c)と祈られます。
それは父なる神様と御子イエス様が一つであられるように弟子たちも一つになるためでした。(11d)
主イエスは地上におられる間、彼らを守られました。(12) 「滅びの子」とはイスカリオテのユダのことです。 彼が滅びたのは聖書が成就するためでした。(ヨハネの福音書13章18節p212、詩篇41篇9節p975)
主イエスが言われる「わたしの喜び」(13)は父なる神様 が主と共におられ、そのみこころを行うことです。
弟子たちもその喜びに満ちあふれるときが来るのです。
2.主は弟子たちの聖別を願われる
弟子たちは主イエスのみことばによって、この世で生活しながら、この世(罪が支配する世界)に属さずに歩む者とされています。(14、16)
今、父なる神様のみもとに行こうとしている主が願われたのは、彼らも世を去ることではなく、神様が彼らをこの世にあって「悪い者」から守られることでした。(15) ここでの「悪い者」は悪魔(サタン)のことです。
主は彼らが悪魔や様々な悪や罪の誘惑から守られるようにと祈られたのです。
主イエスは真理(みことば)によって弟子たちが世から聖別されることを願われます。(17)
主は神様に「聖なる父よ」(11)と呼びかけて祈られますが、主は神様が聖であられるように、彼らも聖であることを求めておられます。(レビ記11章45節p195)
神様が御子イエス様を世に遣わされて救いのみわざを成し遂げられたように、主は弟子たちを世に遣わしておられるのです。(18)
そして、主は「…わたし自身を聖別します」と祈られます。(19)
それは主イエスご自身が十字架にかかられることであり、 罪のない完全な大祭司であるイエス様が、ご自身のいのちをささげられることです。
この祈りの通り、主は弟子たちのため、すべての人のために十字架にかかって死なれ、復活されたのです。
結 論) 神のみことばは私たちを聖別します。私たちを聖別する(きよめる)ものは、聖霊とみことばと主イエスが十字架で流された血潮です。
聖霊がみことばを通して、十字架の主を示し私たちをあらゆる罪と不義からきよめてくださるのです。(ヨハネの手紙 第一1章6節p478)
大祭司として弟子たちのために祈られた主は今も私たち一人ひとりのために父なる神様にとりなしの祈りをささげておられます。(ローマ人への手紙8章34節p311)
主イエスから祈られ、愛されている私たちも隣人のため に祈り、愛する歩みを続けてまいりましょう。
(参考)
ジョン・ノックス
(スコットランドの宗教改革者(1510-1572))