ヨハネの福音書17章1~8節

わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。
             ヨハネの福音書17章4-5節 (p220)

序 論)受難週の木曜日の夜、主イエスは弟子たちに語りかけられ、これから彼らに起こることや彼らの使命について教えられました。(13章~16章)
 その後、主イエスは天を見上げて祈られます。この章は主イエスの祈りで始まり、祈りで終わっています。
 今回の箇所を通して示されることは…

本 論)
1.栄光を求められる主イエスの祈り
 主イエスの言われる「時が来ました」(1)は、主イエスが 十字架での死の後、復活され父なる神様のみもとに帰られる時です。
 主イエスは父なる神様とご自身の栄光を現してくださるようにと神様に祈り求められました。(1)
 父なる神様は御子イエス様に、すべての人を支配する権威を与えられました。(2)
 それは御父が御子に与えてくださった人たちに、御子が永遠のいのちを与えるためでした。
 永遠のいのちとは父なる神様と主イエスを知ることです。(3)
 ここで言われる「知る」は「交わりを持つ」という意味 です。
 主イエスはこれから救いのみわざを成されることを先取りなさって、御父から与えられたみわざのすべてを成し遂げて父の栄光を現しました、と祈られます。(4)
 ここで主が言われる「地上であなたの栄光を現す」とは特に十字架で死なれることを意味しています。
 主イエスが求められるご自身の栄光は、世界が存在する 前から父なる神様のみもとで持っておられた栄光です。(5)
 それは父なる神様が世界が始まる前から御子イエス様を 愛しておられたがゆえに、お与えになった栄光です。(ヨハネの福音書17章24節)

2.弟子たちのために祈られる
 御父とご自身の栄光のために祈られた主イエスは、次に、弟子たちのためにとりなしの祈りをささげられます。6-8)
 主はご自身が昇天された後、弟子たちを襲う迫害についてすでに語られました。(ヨハネの福音書16章2節p217)
 今、地上を去ろうとしておられる主イエスは、弟子たちを父なる神様の御手に委ねられます。
 主イエスは弟子たちを父なる神様が世から選び出され、 与えてくださった人たち、と呼ばれます。(6)
 御父が与えてくださった彼らに主イエスは父なる神の御 名を知らせ、みことばを与えられました。
 「あなたがわたしにくださったものはすべて」(7)は主イエスが父なる神様の御力によって行われたみわざと、御父から示された教えを指しています。
 世の人々は主イエスを受け入れませんでしたが、彼らは 主のみことばを聞き、主イエスが父なる神様のみもとから 遣わされたお方であることを信じました。(8)
 主イエスのみわざと教えを「神からのもの」として受け入れ、主が神から遣わされたお方であると信じた彼らに宣教の使命が委ねられたのです。 

結 論) 父なる神様は今、私たちを主イエスに与え、委ねてくださっています。
 主イエスを父なる神様から遣わされた神の御子、救い主と信じた私たちは祈りとみことばによって父なる神様、御子イエス様との交わりを持ちながら歩み続けます。 (コリント人への手紙 第一 6章19-20節(p334)、10章31節(p342))
 聖霊とみことばによって強められ、力を与えられて、御父と御子の栄光を現すため、それぞれの務めを果たしてまいりましょう。

 (参考)
 「ヨハネの福音書17章の主イエスの祈りは「大祭司の祈り」である。」
    (アレクサンドリアのキュリロス(AD376-444))
   「疑いもなく、収穫はわずかだと見える。3年もの労苦の  末に、ガリラヤの職人たち11名なのだ。…しかし、
主イエスには彼らで十分なのである。この11人の中に主は地上における神の御業継承の保証を見ておられるのだから。」
    (フレデリック・ゴデー  1800年代に宣教したスイス ニューシャテルの神学者)