わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。あなたがたも証しします。初めからわたしと一緒にいたからです。
ヨハネの福音書15章26-27節 (p217)
序 論)この章は前の14章に続いて、受難週の木曜日の夜、主イエスが弟子たちに語られたみことばが記されています。
主は弟子たちを「わたしの友」(14)と呼ばれ、「わたしが世からあなたがたを選び出したのです。…」(19)と言われました。
さらに主イエスはこれから弟子たちに起こることについて語られます。
みことばを通して示されることは…
本 論)
1.主イエスにとどまっている故に
ここでの「彼ら」(21)は「世の人々」のことです。
「これらのこと」は弟子たちに対する世からの憎しみと迫害のことです。
「わたしの名のゆえに」は、主イエスを救い主と信じ、主に属する者(とどまっている者)となっているゆえに、という意味です。
彼らは「わたしを遣わされた方」(主イエスを地上に遣わされた父なる神様)(21)を知らないので、弟子たちを憎み、迫害します。
主イエスが福音を語られたのに世の人々(特にユダヤの宗教指導者たち)は主を受け入れず、亡き者にしようとさえしました。
御子イエス様を受け入れないことは神様の御前に大きな罪となりました。(22)
この世は主イエスが父なる神のもとから来られた方であるのを知らないので主イエスに敵対します。
御子イエス様を憎むことは、御子を遣わされた父なる神を憎むことです。(23)
主イエスのみことばを聞き、主がなされるしるし(奇跡のみわざ)を見てもユダヤ人たちは主を神の御子と信じようとはしませんでした。
このことを福音書記者ヨハネは旧約聖書の詩篇35篇19節(p967)、詩篇69篇4節(p1002)のことばが成就した、と語ります。(25)
2.真理の御霊が主イエスを証しする
父なる神様が弟子たちに遣わされる「助け主」、「父から出る真理の御霊」は聖霊のことです。(26) (ヨハネの福音書14章16-17節p214参照)
「助け主」の原語(パラクレトス)は「傍ら(かたわら)に呼ばれる者」、「援助者」、「とりなし手」という意味があります。
そして、「真理の御霊」の「真理」の原語は「真実」とも訳することができることばです。
聖霊は主イエスが神の御子、救い主であることを証しします。(26)
さらに主イエスは弟子たちに「あなたがたも証しします」と語られます。(27)
「初めから」は主イエスの公生涯の初め(公に宣教を始められたとき)から、という意味です。
主イエスが十字架で死なれ、復活された後、主を証しする宣教は弟子たちに受け継がれていきます。
主イエスを証しするのは父なる神様が遣わされる助け主(聖霊)と、これまで主と共に歩んで来た弟子たちでした。
聖霊降臨日(ペンテコステ)に聖霊を受けた弟子たち(使徒たち)は御霊の助けを受け、主イエスを証し続けました。
その後、主イエスが予告された通り、彼らに対する激しい迫害が起こりますが、主イエスを信じる人たちが起こされ、ユダヤ、ギリシア、ローマ帝国等各地で教会が建て上げられていきました。
結 論) 今までの教会の歴史(約2000年間)の中でも主イエスを信じ、従う弟子たちはユダヤ人や異邦人から反対や迫害を受けました。
助け主である真理の御霊(聖霊)のお働きは、彼らの証しや宣教が弱められることがないように助け、励まし、支えることでした。
彼らは聖霊によって強められ、宣教の働きを続けていきました。
「初めから」(27)は私たちにとっては、主イエスを信じる信仰が与えられたときから、と受け止めることができます。
聖霊によって私たちといつも共にいてくださる主イエスから力をいただき、キリストを証ししてまいりましょう。
(参考)
『沈黙』(1966年) 遠藤周作(1923-1996)
『青銅の基督』(1923年) 長与善郎(1888-1961)