イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」 ヨハネ14章6-7節 (p213)
序 論)受難週の木曜日の夜、主イエスは「わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません」(13章33節)と言われ、ペテロが主を否認することを予告されました。(13節38節)それを聞いた弟子たちは不安になりました。
そのとき、主が語られたことと弟子たちとのやり取りを通して示されることは…
本 論)
1.主イエスが道、真理、いのち
主イエスは「…心を騒がせてはなりません。…」と弟子たちを励まされます。(1)(主イエスご自身が「心を騒がせられた」のは、死の力や悪魔(サタン)の働きに対峙(たいじ)されたときでした。(ヨハネの福音書11章33節p206)(ヨハネの福音書13章21節p212))
主イエスは十字架で死なれ、復活された後、父なる神のみもとに帰られ、そこで弟子たちのために父と共なる「場所」を用意しようとしておられました。(2)そして、場所が用意できたらもう一度、地上に来られること(再臨)を約束されました。(3)
「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています」(4)と主イエスは言われます。しかし、このときの弟子たちはまだそれを理解することができませんでした。
弟子のトマスが尋ねました。(5)
主は答えられます。(6)
主イエスご自身が父なる神様のみもとへと至る道です。主イエス以外の道を通っても父のみもとに行くことはできません。
主イエスは真理であり、いのちでもあるお方です。(6)
そして、主イエスを知る者は父なる神様を知る者です。(7)
2.わたしと父は一つ
主イエスが語られることの意味を弟子たちは悟ることができませんでした。
弟子のピリポが主に「…わたしたちに父を見せてください。…」(8)と求めます。
主は答えられました。(9)
父なる神様が御子イエス様を地上に遣わされました。ゆえに主イエスを見た者は父なる神を見た者です。
主は「わたしと父とは一つです」と言われます。(ヨハネの福音書10章30節p203)
私たちは、御子イエス様を通して神様がどのようなお方かを知るのです。
さらに主イエスはご自身が父なる神様のうちにいて、父なる神様が主ご自身のうちにおられると言われます。(10)
主のみことばとみわざは主を地上にお遣わしになった父なる神様のみことばであり、共におられる父のみわざでした。(10)
主イエスはご自身が父なる神のうちにおられ、父がご自身のうちにおられることを信じることを願って語られます。(11a)
さらに、もし、信じられないならば今までに主がなされた奇跡のみわざ(七つのしるし)のゆえに信じなさいと言われました。(11b)
結 論)「住む所」(2)の「住む」の原語には「とどまる」という意味があります。
そして、主イエスのみもとにとどまるとは、「わたしが道です」と言われる主イエスを信じ、従うことであり、主との交わりを持ち続けて歩むことです。
主が弟子たちに「神を信じ、わたしを信じなさい」と言われたように、私たちも父なる神様を信じ、御子イエス様を信じ、父との交わり、御子との交わりを持ち続け、一歩一歩、進んでまいりましょう。
(参考)
讃美歌288番「たえなるみちしるべの光よ」
作詞:ジョン・ヘンリー・ニューマン
(John Henry Newman 1801-1890)
(19世紀 イングランドの神学者)
2節の歌詞
「ゆくすえとおく見るを ねがわじ
主よ わがよわき足を まもりて
ひとあし またひとあし
道をば 示したまえ」