ヨハネの福音書1章1~14節

光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
…すべての人を照らすそのまことの光があって、世に来よ
うとしていた。
                   ヨハネ1章5、9節  (p.175)

序 論)ヨハネは、この福音書の書き出しで「初めにことばが
あった。…」(1)と記します。ヨハネの念頭には創世記1章
1節の「はじめに神が天と地を創造された。」の言葉があっ
たことでしょう。ヨハネはこの福音書で「人の新創造」につ
いて語ります。今回の箇所を通して示されることは…

1.光なるキリスト
 当時、すでに福音がユダヤ人の間だけでなく、異邦人(地
中海周辺世界 ギリシア語圏)の間にも広がっていました。
 ヨハネは異邦人にキリストとはどのようなお方かを伝え
ようとしたのです。
(1-18節は、初代教会の讃美歌として唱われていたので
はという説もあります。)
 ヨハネは、1節でキリスト(救い主)のことを「ことば(ギ
リシア語では「ロゴス」)」と表現しました。
 この「ことば」であるキリストは、天地創造以前に「神
と共におられた」(2)お方です。
 神の御子キリストは、父なる神と永遠の交わりの中に
おられたお方なのです。創造のみわざは、「三位一体の神」
(父なる神、御子なる神、聖霊なる神)によってなされまし
た。「すべてのものは、この方(ロゴス)によって造られた。
…」(3)
 「世(世界)はこの方(御子キリスト)によって造られた…。」
(10)のです。
 「この方にはいのちがあった。」(4) イエス様は神から
の命、永遠の命を持たれるお方、それを人に分かち与えら
れるお方です。そして、光としてこの世に来てくださいま
した。
 ヨハネは、「罪の世」を「闇(やみ)」と言います。悪の
力は闇(やみ)の力です。人が神様から離れるほど、闇の力
は増すのです。
 後に、弟子のユダがイエス様を裏切って去って行ったと
き、このヨハネ福音書は「時は夜(闇を象徴する言葉)で
あった。」(13章30節 p.212)と語ります。
 しかし「闇はこれ(キリスト)に打ち勝たなかった。」(5)
のです。イエス様は、どんなに深く、濃い闇をも照らす
神の光、命の光です。
 父なる神様が、イエス様より前に地上に遣わされたのが
洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)でした。ヨハネは、光
であるイエス様が神の御子、救い主であることを証しする
使命を与えられていました(6-8)。

2.キリストを受け入れる者の特権 
 イエス様は「すべての人を照すそのまことの光」(9)とし
てこの地上に来てくださいました。「まことの」は「真実
な」、「本当の」という意味です。キリストは、暗黒の世
界に輝く唯一の、本当の光として来られました。
 イエス様が「ご自分のところ」(11)に来られたのに、「ご
自分の民」(11)は受け入れませんでした。これは、イスラ
エルの民のところに来られたのに、彼らは主イエスを受け
入れなかったという意味です。
 イスラエルの民はイエス様を受け入れず、拒み、ユダヤ
の宗教指導者たちは、主を十字架につけてしまいました。
 しかし、三日後に、神様はイエス様を復活させられまし
た。罪も死も悪魔も「まことの光」を消すことはできませ
んでした。
 イエス様を神の御子、救い主と信じ、心に受け入れた人
はだれでも「神の子」とされる「特権」(「資格」新共同訳)
を与えられるのです。それは神様の恵みです。(12)
 先祖にだれかを持つということでも、人間的な力でも努
力によるのでもありません。ただイエス様を神の子と信じ
ることによって私たちは新生の恵みにあずかるのです。
(13)

結 論) イエス様は「恵みとまこととに満ちておられ」ま
した。(14)。「まこと」の原語は「真実」とも訳せる言葉
です。主イエスは、どんなときも真実なお方です。
 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の
中を歩みことがなく、いのちの光を持ちます。」
          (ヨハネによる福音書8章12節 p.195)
  「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光
です。」(詩篇119篇105節 p.1065)
 聖書の言葉、そして聖書の言葉が指し示す主イエスを光
として私たちは歩みます。
 イエス・キリストによって私たちを罪から救い、神の子
となる特権を与えてくださった神様に感謝し、真実な主に
 信頼しつつ、歩み続けてまいりましょう。