ヨハネの福音書9章26~41節

その人は答えた。「主よ、私が信じることができるように
教えてください。その人はどなたですか。」イエスは彼に言
われた。「あなたはその人を見ています。あなたと話してい
るのが、その人です。」彼は「主よ、信じます」と言って、
イエスを礼拝した。
        ヨハネの福音書9章36-38節 (p.201)

序 論)生まれつき目の不自由だった人が、主イエスによっ
て目が見えるようになりました。(7)
 しかし、パリサイ人たちは主を受け入れず、さらに彼を
尋問します。
 この後に彼に起こったことと主イエスがなされたこと、
そしてこられのことを通して示されることは…

本 論)
1.父なる神様のもとから来られた御子
 生まれつき目が不自由な人が見えるようになされたこと

は神の御子イエス様のみがなされたみわざでした。
 しかし、ユダヤ人たちはそれを認めませんでした。(26)
 彼は、皮肉まじりに彼らに答えます。(27)
 モーセを尊敬している彼らは自分たちはモーセの弟子で
あると答えましたが、主イエスのことは認めようとはしま
せんでした。(28-29)
 彼は自分の目を開いてくださった主は「神を敬い、神の
みこころを行う」お方だと証ししました。(30-31)
 さらに彼はひるむことなく、「あの方が神から出ておら
れるのでなかったら、何もできなかったはずです」(33)
と答えました。
 彼がいやされたという事実は誰も否定することができま
せんでした。
 ユダヤ人たちは、彼を罪人と決めつけ、外に追い出しま
した。(34)彼は当時の会堂を中心とした共同体から締め出
されてしまったのです。
 彼が証ししたように主イエスは父なる神様のもとから来
られたお方です。
 神から遣わされた主イエスを受け入れなかったことによ
って、彼らこそ大きな罪を犯してしまったのです。

2.イエス様を主と告白する
 両親のもとから離れ、ひとりぼっちになり、大きな試練

の中にあった彼を、主イエスは見つけ出されました。(35)
 主は彼に「人の子を信じますか」とお尋ねになりました。
 彼は、主イエスがご自分を指して「人の子」と言われて
いるのが分からず主に問いかけます。
 主は彼に対して、ご自身のことをはっきり示されました。
(36-37)
 彼は神様が主イエスと共におられ、働いておられること
を認めました。
 彼は、このお方が自分の目をいやし、見えるようにして
くださった神の御子、救い主であることがわかりました。
 それで、彼は「主よ、信じます」と主イエスに対する信
仰を告白し、主を礼拝しました。(38)
 主はさらに語られます。(39)
 パリサイ人のようなユダヤの宗教指導者たちは、自分た
ちは目が見える(神様のことがよくわかっている)と自負し
ていました。しかし、彼らは世の光として来られた
主イエスを受け入れなかったので、霊的に盲目であり、罪
の中にとどまったままであることが明らかにされました。
 彼らは主イエスを拒み、「私たちは見える」と言い張る
ことによって、彼らの罪はそのまま残ることになりました。
(41)

結 論)この目が開かれた人も、最初に主イエスにお出会い
したときは、主がどのようなお方か、よくわかっていませ
んでした。
 しかし、パリサイ人たちとのやりとりを通して、主のこ
とを思い起こし、主に対する見方がだんだんと変えられて
いきました。
 「イエスという方が…」(11)から「あの方は預言者です」
(17)という答えに変わりました。
 さらに「あの方は神から出ておられる…」(33)と言い、
ついに「主よ、信じます」と信仰告白に導かれました。
 今も、主イエスは聖霊と聖書のみことばを通して私たち
一人ひとりに働きかけ、語り掛けておられます。
 そして、私たちの心を変えてくださり、霊の目を開き
神の御子、救い主イエス様への信仰を与えてくださいます。
 私たちも、イエス様に「主よ、信じます」と信仰告白し、
罪赦され、救われた幸いを覚えます。
 主を感謝と喜びをもって礼拝し、日々、心新たにされて
歩んでまいりましょう。