詩篇92:1~15

正しい者は なつめ椰子の木のように萌え出でレバノンの
杉のように育ちます。彼らは 主の家に植えられ
  私たちの
神の大庭で花を咲かせます。彼らは年老いてもなお 実
を実らせ
   青々と生い茂ります。
           詩篇92篇12-14節(p1032)

 

序 論) この詩篇はバビロン捕囚から解放されユダヤの地
に帰還したイスラエルの民が、再建された神殿で、安息日
ごとに神様を礼拝するときに用いられた歌だと推測されて
います。(神殿完成はBC516年頃)
 神様への感謝と賛美が記されています。
 この詩篇を通して示されることは…

1.神様の大きなみわざ
 「朝」と「夜ごと」は、黙想、祈り、賛美の時間を指し
ています。(2)
 そのときに神様の恵みと真実が告げられます。(2)
 「あなたのなさったこと」(4)は、神様がイスラエルの民
になさった救いのみわざや悪に対する正しいさばきのこと
です。
 ここでの「無思慮な者」や「愚か者」とは、神様に心を
向けない人たちのことです。(6)
 彼らは神様のみわざやご計画、正しいさばきが分からな
いのです。
 この宇宙の広大さ、自然の美しさ、人体の不思議な働き
などにも神様のみわざの偉大さが現わされています。(5)
 「不法を行う者」(7)(神様に心を向けず、律法に従わな
い者)は、花は咲かせても、良い実を結ぶことはできません。
一時的には上手くいったり、栄えているように思えたとし
ても最後には滅びてしまうのです。(7、9)
 「永遠にいと高き所におられる」(8)神様を知り、畏れ
従うことが神様の願われることであり、祝福の道なのです。

 2. 神様に信頼し、感謝する者
 10節からの後半は、神様に信頼し歩む者の確かな姿が
記されています。
 「私の角」の「角」は力と栄光の象徴です。(10)
ここでの「私」はイスラエルの民や信仰者を代表していま
す。
 「みずみずしい油」は聖霊の象徴だと受け止めることが
できます。(10)
 神様が正しいさばきを成されることを詩人や信仰者たち
は見聞きします。(11)
 「なつめ椰子(やし)」や「レバノンの杉」(12)は「青草」
(7)とは反対に、丈も高く、寿命も長い樹木です。
 「なつめ椰子」は荒野でも成長します。「レバノンの杉」
は力と確かさの象徴です。
                   (エゼキエル書31章3-9節p1469)
 それらにたとえられた「正しい者」(12)(神様を信頼し、
従う者)は、主の家に植えられ、神の大庭で花を咲かせる
と歌います。(12) 
 「主の家に植えられる」とは移植され、手入れされるこ
とです。(詩篇1篇3節p934)
 それは信仰者が神様との豊かな交わりの中で成長してい
くことを示しています。成長の力の源は神様にあり、
神様が、喜びと希望の実を結ばせてくださいます。
 彼らは年老いても豊かに身を結ぶのです。(14)
 「主は正しい方」(15)は、神様が正しくさばかれるお方
であり、神様に信頼する者を豊かに祝福してくださるお方
であることを表しています。

結 論)主イエスを信じる私たちに神様は「みずみずしい油」
(10)(聖霊)を注いでくださいます。
 そして、聖霊によって主イエスは私たちと共に歩んで
くださっています。
 私たちはキリストにあって「新しく造られた者です」
    (コリント人への手紙 第二 5章17節p361)
 主イエスと共に歩む者は、日々、新たにされていくので
す。     (コリント人への手紙 第一 15章58節p352)
 父なる神様と御子イエス様との豊かな交わりを持ちつつ
私たちがそれぞれに置かれた場所で主のわざに励んでまい
りましょう。

 (参考)
  『老いを創(はじ)める』日野原重明著
                     (1911-2017)