「しかし、このわたしは真理を話しているので、あなたがた
はわたしを信じません。あなたがたのうちのだれが、わたし
に罪があると責めることがきますか。わたしが真理を話して
いるなら、なぜわたしを信じないのですか。 神から出た者
は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞
き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからで
す。」
ヨハネの福音書8章45-47節(p198)
序 論) 主イエスは、ご自分が神の御子、救い主であるこ
とを証しされました。さらにユダヤ人たちと対話を続けら
れます。
主が語られたことを通して示されることは…
1.父なる神様が遣わされたお方
ユダヤ人たちは、自分たちがアブラハムの子孫であるこ
とを誇りとしていました。(39)
主イエスは、「あなたがたがアブラハムの子どもなら…」
と言われます。(39)
かつてアブラハムは地にひれ伏して神様からの使者を
迎えました。(創世記18章1~8節p27)
そのアブラハムの子孫なら、彼らは神様が遣わされた主
イエスを喜んで迎えるはずでした。しかし、彼らは主を受
け入れることができませんでした。(40)
彼らには自分たちの父は神様だという自負がありました。
(41後半)(イザヤ書63章16節p1275)
しかし、このとき主を亡き者にしようとしていた彼らは
「罪の奴隷」(8章14節)であり、霊的にはアブラハムの
子ども(子孫)でもなく、神の子どもでもない状態に陥って
いたのです。
彼らは、主イエスの出自に対して悪意をもって語ります。
(41節後半)
それに対して主イエスは、改めて父なる神様がご自分を
遣わされたことを語られました。(42)
(ヨハネの福音書7章16節、28節p193)
2. みことばを通して真理を知る
彼らは主イエスの語られるみことばを受け入れ、従うこ
とができませんでした。(43)
彼らは主のみことばを、心を開いて聞くことができなか
ったのです。それゆえに主が語っておられる神様のあわれ
みによる救いの真理を知ることができなかったのです。
自分たちがアブラハムの子孫であるという民族的誇り
(8章33節)のため、ユダヤ人たちは主のみことばに耳を
ふさいでしまいました。
主はご自分の命を奪おうとたくらむユダヤ人たちが、真
のアブラハムの子孫ではなく、「悪魔である父から出た者」
であることを指摘されました。(44)
神の子であるはずの彼らが、このときは悪魔の支配下に
ありました。(44)
「悪魔は初めから人殺しで、…」は、最初の人アダムの
子カインが弟のアベルの命を奪ったことを指して言われて
います。(44)(創世記4章8-9節p6)
このときのユダヤ人たちは主イエスの御前にカインの立
場に置かれていました。(創世記4章7節p6)
彼らが神様を仰ぎ、自分の罪を悔い改め、主イエスに救
いを求めることを主は願われ、彼らを招いておられたので
す。
主イエスはみことばを通して真理を語られたのに彼らは
真理を受け入れませんでした。(45-46)
彼らは真理に聞き従わないことによって、自分たちが
「神から出た者でなく」(47)、偽りのうちにとどまってい
ることを自ら立証してしまったのです。
結 論)私たちは自分の力で罪の奴隷の状態から脱すること
はできません。
罪なきお方、主イエスだけが私たちをそこから救うこと
ができます。
御子イエス様は、私たちを悪魔の支配から解放し、罪か
ら救い出すために父なる神のみもとから地上に来てくださ
いました。そして、十字架と復活によって救いを成し遂げ
てくださったのです。
主イエスのみことばに触れ、主を信じ受け入れた私たち
は救いの恵みにあずかりました。
神様は、私たちの心を、聖霊とみことばによってきよめ
続けてくださるのです。
私たちは日々の生活の中で、自らの言行を通して、心の
汚れ、内なる罪を示されるときがあります。
その時こそ悔い改め、心を神様に向け、主イエスの十字
架を仰ぎましょう。
十字架の血と聖霊による罪の赦しときよめの恵みにさら
にあずかってまいりましょう。