「主よ、わざわざ、ご足労くださるには及びません。あなた
様を、私のような者の家の屋根の下にお入れする資格はあり
ませんので。ですから、私自身があなた様のもとに伺うのも、
ふさわしいとは思いませんでした。ただ、おことばを下さい。
そうして私のしもべを癒やしてください。…」
ルカの福音書7章6c-7節(p123)
序 論) 主イエスは、弟子たちとともにガリラヤ地方にお
られました。人々に話された後、主はカペナウムに入られ
ます。(1)当時、そこはローマ帝国の軍隊の駐屯地の一つ
でした。そこで起こった出来事を通して示されることは…
1.主の御前に出る
その駐屯地の部隊の百人隊長の一人のしもべが病気で命
が危うい状態でした。(2)
百人隊長は主イエスのことを聞き、しもべを癒していた
だきたいと願い、ユダヤ人の長老たち(ユダヤの会堂の年長
者たち、ユダヤ教の指導者の立場にある信者たち)を主のも
とに送りました。(3)
彼らは主イエスに熱心にお願いしました。(4)
百人隊長はユダヤ人の信仰を尊重し、自身も神を敬う人
でした。そして、彼らのために会堂(シナゴーグ)を建てる
ことに大きく貢献しました。(5)
主イエスは彼らと一緒に百人隊長の家に向かわれました
(6a)
家の近くに来た時、百人隊長は自分の友人たちを主のも
とに送ります。(6b)
百人隊長は、私は主イエスを自分の家にお迎えする資格
のない者です、と伝えさせました。
彼は、主が神の権威を持っておられるお方だと知ってい
て、畏れの気持ちを持っていました。
まして自分は神様から遠い存在とみなされている異邦人
の一人であることもわかっていました。
それで、「私のような者の…資格はありません…」(6)
と言ったのです。
2. みことばを求める
百人隊長は自分のしもべを何としても助けたいと思い、
主イエスに「ただ、おことばをください。そうして私のし
もべを癒してください」と伝えさせたのです。(7)
続いて彼は自分の兵士としての体験を語ります。(8)
彼は命令することのできる権威をローマ帝国から与えられ
ていました。そして権威の下にある自分の言葉に服従する
兵士たちの例を挙げます。彼は権威を持つということの重
い責任とそこで語られる言葉(ここでは命令)の重さをよく
知っていました。
この体験のゆえに彼は主イエスのみことばの権威と力を
信じることができたのです。
彼は主にみことばを求め、主はそのことを褒められたの
です。(9)
このとき、多くのユダヤ人たちは主イエスにお出会いし、
みことばを聞いても主を信じ、受け入れませんでした。
彼らは、主の御前に出て、自分の罪を認め、神様に立ち帰
ろうとしなかったのです。
神様は、自分たちが選民だとうぬぼれ、主イエスを信じ
ようとしないイスラエルの民よりも、主を畏れつつ、信仰
をもって主の御前に出、主とみことばを求め続ける異邦人
を顧みてくださるのです。
主イエスは群衆に語られた後、百人隊長が主のもとに
送った人たちは家に戻りました。(10)
そのときすでに彼のしもべは癒されていたのです。
結 論)主イエスが今回の箇所で「これほどの信仰を見たこ
とがありません」(9)と言われたのはなぜでしょうか。
それはこの百人隊長は主イエスが神の権威を持つお方、
神の御子であると信じ、主のみことばが神の権威と力を持
つこと、みことばがその通りに実現することを信じていた
からです。
ユダヤ人も、異邦人も、神様から見れば罪の下にある者
であり、自分の罪深さを知れば知るほど、私たちも神様の
御前に立つ「資格のない者」であることを示されます。
しかし、そのことを認め、それでもなお、主イエスを信
じ、みことばを求めていく者を主は顧みてくださるのです。
聖書は、十字架にかかられ、復活された主イエスが神の
御子、救い主であることを証ししています。
(ヨハネの福音書5章39節p187
ヨハネの福音書20章31節p229)
畏れと信仰をもって主の御前に出、みことばを求めてま
いりましょう。