イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あな
たがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの
弟子です。 あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを
自由にします。」
ヨハネの福音書8章31-32節(p197)
序 論) 主イエスは、ユダヤ人たちとの対話を通して、
ご自分が神の御子、救い主であることを証しされました。
その結果、多くの人たちが主を信じました。(21-30)
主は信じた人たちに向かって語られます。(31a)
主の語られたみことばを通して示されることは…
1.罪からの解放
ここでの「真理」(32)はギリシア語の原語では「真実」
とも訳せる言葉が用いられています。
主イエスはご自身のことを「真理」であると語られまし
た。(ヨハネの福音書14章6節p213)
後に使徒パウロは「キリストは常に真実である」と言っ
ています。(Ⅱテモテへの手紙2章13節p427)
「あなたがたを自由にします」の「自由にする」は、
「罪から解放する」という意味で言われています。
主イエスから語り掛けられたユダヤ人たちは、自分たち
が「罪の奴隷」(34)であるとは全く思っていませんでした。
むしろ、霊的に自由であると思い込んでいました。
(バビロン捕囚(BC605-537年頃)以来、イスラエルの
民は幾度が政治的には奴隷状態に置かれたことがあった。
当時は、ローマ帝国の支配下にあった。)
そして、自分たちが「アブラハムの子孫」であることを
誇りとしていました。(33)
かつて神様がアブラハムと結ばれた契約によって、その
子孫である自分たちも罪から解放されていると思っていま
した。 (創世記12章1-4節p17、15章1-6節p21)
主イエスがここで言われる「罪」は、神様を第一として
生活せず、自分を誇り、自分の欲を満たすことを第一とし
て、自己中心に生きることを意味しています。
このとき主の語られていることを聞いていたユダヤ人た
ちも罪の支配下にありました。
2. 神の御子による救い
当時、奴隷はその主人によって家にいることを許されて
いました。(34)
必要がなくなれば、売り払われたり、「自由にする」と
いう名目で追い出されたりしていました。一方、息子は家
族の一員として愛され、ずっとその家にいます。
主イエスは、ここでご自分のことを息子、ユダヤ人のこ
とを奴隷にたとえて話されました。(36)
神の独り子イエス様は、罪に支配され、罪の奴隷となっ
ている私たち人間を罪から解放し、真の自由と神の子とす
る特権を与えるために地上に来てくださいました。
主イエスはユダヤ人たちに罪を悔い改め、父なる神様に
立ち帰るよう、招かれました。
それなのに、彼らは主を受け入れませんでした。
主はユダヤ人たちがご自分を亡き者にしようとしている
こともご存じでした。(37)
このとき、主は私たちの罪の罰をすべて背負って、十字
架の死と苦しみを引き受けようとしておられたのです。
この後、宗教指導者たちは主イエスを十字架に追いやり
ました。
主の十字架の死は、神様の救いのご計画の中で成された
ことでした。父なる神様は御子イエス様を復活させられま
した。
主の十字架と復活によって私たちは罪から解放され、
神の子とされ、父なる神様との関係が回復したのです。
(ガラテヤ人への手紙4章4節p37
結 論)父なる神様の真実とご愛は、御子イエス様の十字架
に現わされました。
(ヨハネの福音書3章16節p180)
旧約の預言者エレミヤを通して示された「新しい契約」
は、主イエスが十字架で流された血によって結ばれたので
す。(エレミヤ書31章31節p1351、
ルカの福音書22章20節p165)
主イエスを信じ、心に受け入れた者は、罪赦され、神の
子とされています。
主は「わたしのことばにととまるなら…」(32)、そして、
「わたしのことばがあなたがたのうちに入っていない…」
(37)と言われたように、私たちは主のみことばにとどまり、
みことばを心にとどめてまいりましょう。
主のご愛の中、聖霊とみことばに生かされて歩み続けま
しょう。