イエスは身を起こして、彼女に言われた。「女の人よ、彼ら
はどこにいますか。だれもあなたにさばきを下さなかったの
ですか。」彼女は言った。「はい、主よ。だれも。」イエスは
言われた。「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさ
い。これからは、決して罪を犯してはなりません。」
ヨハネの福音書8章10-11節(p195)
序 論) 主イエスはエルサレムの宮(神殿)で語られ、人々
を招かれました。(7章37-38節)
その後、主に対する人々の評価は大きく分かれ、紛争が
生じる事態になりました。(43)
その後起こった出来事を通して示されることは…
1.罪を犯した人と宗教指導者たち
主イエスを捕えることができなかった下役たち(神殿警
備の役人たち)が宗教指導者たちのもとに戻ってきました。
そして、議会でも論争が生じます。(45-49)
そのとき、かつて主イエスを一人で訪ねて来たニコデモ
は一同に律法に基づく公正な判断をするように促します。
(50-51)(申命記1章16-17節p313)
しかし、彼らは、彼の言葉を受け入れようとしませんで
した。(51-52) 彼らも群衆と同様に主イエスがベツレヘムで
ダビデの子孫としてお生まれになったことを知りませ
んでした。
その翌朝、主イエスは再び宮で教えられます。そのとき
姦淫の罪を犯した一人の女性が、主イエスのもとに連れて
来られました。(2-3)
律法学者たちは、彼女を用いて主イエスを試み、陥れよ
うとしたのです。(4-6a)
姦淫は、モーセの十戒の中でも禁じられていました。
(出エジプト記20章14節p135)
違反した場合には死刑に処せられることもありました。
(申命記22章22節p354)
もし、主イエスがこの女性を赦せば、律法違反者として
主を捕える口実となります。
当時、ローマ帝国の支配下にあったユダヤでは死刑執行
権がありませんでした。それで主イエスがもし、石打ちの
刑を認めるなら、ローマへの反逆者として訴えることがで
きます。
主に対する悪意に満ちた律法学者たちの言動に彼らの大
きな罪の姿が現れていました。
2. 主イエスは十字架に向かわれる
主イエスは、身をかがめて地面に指で何かを書いておら
れました。(出エジプト記31章18節p157参照)
律法学者たちは主に問い続けます。しかし、彼らが声を
上げれば上げるほど、かえって彼らの罪の姿が露呈します。
主は身を起こされ、威厳をもって答えられました。(7) こ
の女性を本当に正しく裁くことができる者はだれかと、
主は問われたのです。
その言葉を聞くと、年長者から一人去り二人去り、つい
には女性と主イエスだけが残られました。彼らは主の言葉
によって自分自身の罪を示されたのです。
主イエスは慈愛をもって、彼女に問われました。(8)
彼女の答えを聞かれ、主は罪の赦しを宣言されました。
このとき主イエスご自身が、その罪の代価を支払おうと
しておられました。
主は、この女性の罪のためばかりでなく、彼女を罪に定
めようとした者たち、そして、すべての人の罪のために
十字架の苦しみを受けようとしておられました。
主イエスは、私たちの受けるべき罪の罰を一身に引き受
けられ、十字架にかかられたのです。
結 論)主イエスは「わたしは世の光です。…」(12)と言わ
れました。主は私たちの罪を示す光でもあられます。
自分の内なる罪が示されたとき、主イエスのもとから去
ってしまった律法学者やパリサイ人たちは救いの恵みにあ
ずかることはできず、罪の中にとどまってしまいました。
一方、罪の姿のままで光なる主の御前にとどまったこの
女性は赦され、光の中を歩む者とされました。
一方的に罪赦されたこの女性の姿は、主イエスが十字架
にかかられるとき、主が身代わりとなって罪赦されたバラ
バの姿と重なります。(ルカの福音書23章18-25節p169)
パウロは主の十字架による救いの恵みをローマ人への手
紙の中で次のように語っています。
(ローマ人の手紙5章6-9節p304)
世の光としてこの地に来てくださった主イエスを信じ、
いのちの光をいただき、従ってまいりましょう。