ヨハネの福音書7章32~44節

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、
大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしの
もとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言って
いるとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出
るようになります。」
        ヨハネの福音書7章37-38節(p194)

序 論) 主イエスは仮庵の祭りが行われているエルサレム
の宮(神殿)で群衆に教えられました。(7章14-24節)
 主はご自分が父なる神様のもとから遣わされたことを告
げられました。(7章28-29節)
 さらに主が語られたことを通して示されることは…

1.復活、昇天の予告
 群衆のうちには主イエスを信じる人たちがいました。

(31) そのような群衆の様子は祭司長やパリサイ人たちに
も伝わりました。(32a)
 彼らは主を捕えようとして下役たち(神殿警備の役人た
ち)を遣わします。(32b)
 しかし、父なる神様が定められた時が来るまで、彼らは
その目的を達することはできませんでした。
 主イエスは、やがてご自分が「わたしを遣わされた方」
である父なる神様のみもとに帰ると言われます。
 (33-34)
 これは主イエスが十字架で死なれた後、復活され、父な
る神様のもとに帰られる(昇天)される)ことの予告でした。
 しかし、ユダヤ人たちは主の言葉を理解することができ
ませんでした。(35-36)
 彼らは主イエスがユダヤを去って、ギリシアで宣教され
るのではないか、と思いました。
 彼らの言葉は、彼ら自身は意図していませんでしたが後
に成される主の弟子たちのギリシアでの異邦人伝道を予告
する言葉となりました。

 2. 主イエスは招いておられる
 「祭りの終わりの大いなる日」(37)は、仮庵の祭りが始

まって8日目のことで、この日にシロアムの池から運び出
された水が神殿の祭壇に注がれました。
 主イエスは立ち上がって、大きな声で言われます。(37-
  38)
 「聖書が言っている通りに」(38)は、イザヤ書44章3
節(p1240)、55章1節(p1261)、58章11節(p1267)
等の言葉を指して言っておられます。
 どんな厳かな儀式であっても人々の心の渇きはいやされ
ません。主イエスは渇く者に向かい「生ける水の川」が
心の奥底から流れ出ると言われ、人々を招かれました。
 「生ける水」とは、「御霊」(聖霊)を指していると福音
書記者のヨハネは語ります。(39) 
 主イエスが栄光を受けられる時とは、主イエスが十字架
にかかられ、贖いのみわざを成し遂げられる時です。その
時はまだ来ていませんでした。
 人々は主イエスの言葉を聞いてとまどいます。彼らの主
に対する評価は分かれ、分裂が生じる事態になりました。
 (40-43)
 ある者は主をモーセのような預言者だと認めようとしました。(40)(申命記18章15節、18節p348)

     ある者は、主イエスがダビデの町ベツレヘムでダビデの子孫とし
てお生まれになったことを知りませんでした。
 それで、ガリラヤ育ちの主イエスをキリスト(救い主)と認め
ることができませんでした。(41c-42)
        (ルカによる福音書2章1-12節p110参照)
 キリストは「ダビデの子孫から」(41)お生まれになるこ
とはⅡサムエル記7章12-13節(p550)に記されていま
す。そして、「ダビデがいた村、ベツレヘムから」現れる
という預言は、ミカ書5章2節(p1586)に記されています。
 主イエスは旧約の預言通りの救い主としてこの地上に
来てくださったのです。
 主イエスを捕えようとする者たちもいましたが、まだそ
の時が来ていなかったので、だれも主に手をかけことがで
きませんでした。(44)

結 論)この時から約7か月後、次の年の春の過越祭のとき
主イエスは十字架にかかられ贖いのみわざを成し遂げられ
ました。その後、復活、昇天し、父なる神様の右に着座さ
れ、栄光を受けられました。
 そして、主イエスは信じる者たちに聖霊を注がれました。
              (使徒の働き2章1-4節p233
                 2章33節p235)
 今も主イエスは魂の渇きを覚えているすべての人にご自
分のもとに来るようにと招いておられます。
 主イエスを信じる者に生ける水(聖霊)は与えられ、その
 渇きはいやされるのです。
 聖霊によって主は信じる者のうちに生きてくださいま
す。そして心の奥底から生ける水が流れ出る者、聖霊の豊
かな恵みを分け与える者としてくださいます。
 日々、主との交わりを持ち、聖霊の注ぎをいただきつつ
歩み続けましょう。