しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・
キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んで
います。キリストは、万物をご自分に従わせることさえでき
る御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に
輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。
ピリピ人への手紙3章20-21節(p399)
序 論) ピリピ人への手紙は、パウロがローマで二年間軟
禁状態にあったときに、パウロが書いた手紙です。
当時、ピリピの教会に、福音を間違って理解していた人々
がいました。
今回の箇所を通して示されることは…
1.パウロの信仰に倣う
3章1-3節では、救われるために割礼を受けるべきだと
主張する律法主義者に気をつけるように訴えています。
彼らは、心を開いてイエス様を救い主と信じ、心に受け
入れることこそが本当の割礼であることがわかっていなか
ったのです。
彼らは律法の細かい規定にこだわり、律法に守ること(行
い)によって救われようとしたのです。
パウロは、教会の人たちに彼らのようにではなく「私に
倣う者となってください。…」と言っています。(17)
パウロは復活された主イエスとお出会いし、イエス様を
信じる者とされました。
「私に倣う者」とは、パウロが主イエスを信じ、従って
歩んでいたように、主イエスを信じ従う者です。
「私たちを手本として…」とは、パウロたちがそうして
いたように主イエスを手本としてともに歩むことです。
次にパウロは、もう一つの間違った福音理解をする人た
ちに対して忠告しています。彼らは「無律法主義者」(道徳
廃棄論者)とも言われます。(18-19)
彼らは、自分たちは救われたのだから律法にとらわれな
いでいいのだ、地上の生活を欲望のまま生きればいいのだ
と主張する人たちでした。
パウロは彼らは「キリストの十字架を敵として歩んでい
る」(18)と警告します。
彼らは自分の欲望を「神」としていました。欲望の充足
だけを追求し、地上の生涯だけをすべてと考えて生きるな
ら、その人たちの「最後は滅び」なのです。
2. 再臨される主を待ち望む
当時のピリピはローマ帝国の支配下にありました。彼ら
は遠く離れた首都ローマの市民とみなされていました。
(ローマ市民権を持っている人たちもいた)
ピリピ教会の人たちに対してパウロは「しかし、私たち
の国籍は天にあります。」(20a)と言います。
私たちもキリストによって御国の民とされています。
主イエスは、十字架にかかられ、三日後に復活し、天に
昇られました。
そして、父なる神様の右の御座に着座され、信じる者た
ちに聖霊を与えてくださいました。
そして、天におられる主イエスが再び地上に来られる日
(再臨の時)を待ち望んでいます。(20b)
その時、キリストは「万物をご自分に従わせることさえ
できる御力」(万物を造り変える御力)によって「私たちの
卑しいからだをご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変え
てくださる」のです。(21)
次の4章1節でパウロはピリピの教会の人たちに親しく
語り掛け、キリストと結ばれて「堅く立ってください」
(「しっかりと立ちなさい」(新改訳))と励まします。
結 論)パウロは、キリストが自分を捕えてくださったから
キリストを求めました。(3章12節p398)
そして、地上の生涯を走り続けました。
(3章13-14節)
(へブル人への手紙12章1-2節p454)
神様がイエス・キリストによって成された救いのみわざ
による天の御国への道が開かれました。
主イエスを信じ、従う者は地上の生涯を終え、御国へ
移されるのです。
私たちもパウロや先人の信仰に倣い、主イエスを仰ぎ、
天の御国の希望を抱きつつ、地上でのそれぞれの使命を果
たしてまいりましょう。