しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、
あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言
われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に
帰りなさい。」
ルカの福音書5章24節(p119)
序 論) 主イエスがガリラヤのある町におられたとき、
主は家の中で大勢の人たちに教えておられました。(17)
そこにはパリサイ人たちもいました。
そのときに起こった出来事と主イエスのみことばを
通して示されることは…
1.主イエスのみもとに近づく
そこに中風をわずらっている人が運ばれてきました。
運んで来た人は「四人」でした。(マルコの福音書2章3節
p67) 彼らは彼の友人だったと思われます。
彼らは主イエスに近づこうとしましたができませんでし
た。それで彼らはその家の屋根をはがし、上からその人を
寝かされた状態でつり降ろしました。
彼らは、イエス様のことをお聞きし、この方ならこの人
をきっといやしてくださると信じて、主のもとに連れてき
たのです。彼も彼らの手に自分を任せていました。
主イエスは彼らの信仰を見られ、彼に「友よ、あなたの
罪は赦されました」と言葉をかけられました。(20)
これは、彼らの全く予期しなかったみことばでした。
人々の視線は、つり降ろされてきた男の人から主イエス
の方に一斉に向けられたことでしょう。
それは神様お一人のほかにはできないはずの罪の赦しの
宣言を主がなされたからです。
「パリサイ人たちと律法学者たち」(17)は、主イエスが
律法に反することを言ったり行ったりしないかを監視する
ために「そこに座っていた」のです。彼らは主イエスが本
当はどのようなお方なのかを知ろうとはしませんでした。
しかし、四人は、主イエスに信仰をもって近づき、病人
を主の御前に連れてきたのです。
彼らの姿に、信仰をもって主のみもとに近づくことの大
切さを示されます。私たちも主のみもとに近づき、御前で
主に祈り、みことばを求めましょう。
2. 地上で罪を赦す権威を持っておられるお方
律法学者たちは、罪の赦しを宣言するこの人はいったい
何者だろうと、心の中であれこれ考えました。(21)
彼らは主イエスが神を冒瀆(ぼうとく)していると思いま
した。
主イエスは彼らの心の中の考えもご存じで、彼らに問い
かけられます。(22-23)
「あなたの罪は赦された」と言う方が、「起きて歩け」
と命じるよりも、(言うだけなら)易しいことです。
なぜなら、「起きて歩け」と命令するなら、その場で目
に見える結果が要求されるからです。
しかし、本当は罪の赦しを宣言する方が、難しいのです。
罪の赦しは神のみがなさることだからです。
主イエスは彼らの(心の中の)答えを踏まえて、「あなた
に言う。起きなさい。…」とあえて目に見える結果が要求
される方の言葉を言われました。(24)
すると中風の人はすぐさま立ち上がり、皆の前で自分が
それまで横たわっていた床をかつぎました。(25)
そして、神様をあがめながら自分の家に帰っていきました。
主はいやしのみわざを成さることを通して「人の子が
地上で罪を赦す権威を持っていること」(24)を示されまし
た。「人の子」は、主イエスがご自分を指すときに用いら
れた呼称です。(ルカ福音書では12回用いられている)
この男の人のいやしを目の当たりにした人々の様子や
言葉は、主イエスによる新しい時代の幕開けを示していま
した。(26)
結 論)主イエスはすべての人を罪から救うためにこの地上
に来てくださいました。
そして、私たちのすべての罪の罰を十字架でご自分の身
に負って死なれ、復活されました。それによって、罪の赦
しが成されたのです。
神の御子イエス様だけが、私たちの罪を赦し、罪の赦し
の宣言をしてくださるお方です。
いやされた人が立ち上がり、歩き出したように、主イエス
によって罪赦され、救いの恵みをいただいた私たちも、
主イエスとともに新たな道を進んでいきます。
主のみもとで、みことばと聖霊による励ましと力をいた
だき、新しい一週間、新しい一日を歩んでまいりましょう。