ヨハネの福音書7章1~13節

そこで、イエスは彼らに言われた。「わたしの時はまだ来て
いません。しかし、あなたがたの時はいつでも用意ができて
います。…あなたがたは祭りに上って行きなさい。わたしは
この祭りに上って行きません。わたしの時はまだ満ちていな
いのです。」
     ヨハ
ネの福音書7章6、8節(p192)

序 論) 主イエスは弟子たちとガリラヤでの宣教を続けら
れました。(1) ユダヤの三大祭りの一つの仮庵の祭り(九月
下旬~十月頃行われる収穫感謝祭)が近づいていました。
 主イエスと主の兄弟たちとの対話や成されたことを通し
て示されることは…

1.神様のご計画の中で定められた「時」
 仮庵の祭りは、収穫感謝とともに出エジプトの後の荒野

の旅を思い起す意味もありました。
                   (レビ記23章42節p221)
 祭りが近づき、エルサレムにユダヤの国中から大勢の人
が集まっていました。神殿で神様を礼拝し、感謝のいけに
えを献げるためです。
 主の兄弟たちは、主イエスにユダヤに行くことを勧めま
す。(3-4)(マルコの福音書6章3節p76参照)
 そしてエルサレムに上ってご自身の奇跡や癒しのみわざ
を行う力を公に現わすようにと言いました。
 現世的な利益を求めていた彼らは、主イエスを神の御子、
救い主(キリスト)と信じていませんでした。(5)
 主は「わたしの時はまだ来ていません。…」(6)と言われ、
彼らの勧めを退けられました。
   (ヨハネの福音書2章4節p178参照)
 主イエスはご自分に対する世の人々の憎しみや(7)、ご自
分を亡き者しようとしているユダヤ人たち(宗教指導者た
ち)(1)の策動についてもよくご存じでした。
 主イエスは、兄弟たちに祭りに行くように言われます。
(8) そしてご自身はガリラヤにとどまられました。
 ここでの「時」は、「正しい時、適切な時、好機」と
いう意味です。
 そして主イエスが言われた「わたしの時」(6、8)とは、
主が十字架にかかられるために神様が「定められた時」を
指しています。
 主の兄弟たちは、神様のご計画をまだ何も知らず、それ
とは無関係に過ごし、世の人々と同じ様に生活していたの
です。

 2. 主が栄光を受けられる時
 兄弟たちが他の巡礼者たちと祭りに上った後で、主イエス

は目立たないようにエルサレムに行かれました。(10)
 主は兄弟たちの意図(3-4)には同意されませんでしたが、
祭りに上る別の目的を持っておられました。
 その後、主イエスと弟子たちがエルサレムに来られたこ
とが知れ渡りました。ユダヤ人たちは、主を捜します。(11)
 群衆は、主イエスの御姿をもう一度見たいと願っていま
した。そして、主のことをいろいろ話します。(12)
 彼らの意見は分かれ、「良い人だ」という人もいれば、
「群衆を惑わしているのだ」という人もいました。
 しかし、ユダヤ人たちを恐れてだれも主イエスについて
公に語る者はいませんでした。(13)
 このときは、主イエスが十字架にあげられる時はまだ来
ていませんでした。
 この後、主イエスはユダヤ人たちと議論されます。
 (7章14節~8章59節)
 この仮庵の祭りのときではなく、後の過越の祭り(春の
祭り)のとき、主イエスは十字架に渡されます。
              (ヨハネの福音書13章1節p211等)
 十字架の時は、主の栄光が現わされる時でした。
 主イエスは十字架にかかられ、贖いのみわざを成し遂げて
くださいました。
 その後、主は復活、昇天し、父なる神様の右に着座され、
栄光を受けられます。
 主の復活の後、兄弟たちも主の弟子たちとともに行動す
るようになりました。
               (使徒の働き1章14節p233)
 後に主の兄弟ヤコブは初代エルサレム教会の指導者とし
て教会に仕えました。(使徒の働き15章13節p265)

結 論)主イエスが父なる神様の右に着座された後、聖霊が
弟子たちに降りました。
              (使徒の働き2章1-4節p233)
 主イエスは「約束された聖霊を御父から受けて、今あな
たがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったの
です。」(使徒の働き2章33節p235)
 主イエスを神の御子、救い主と信じ受け入れる全ての者
のうちに聖霊が与えられる時が来たのです。
 さらなる主の栄光の時であるご再臨を日々待ち望みつつ
歩みましょう。