ヨハネの福音書6章60~71節

すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちはだれ
のところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのこ
とばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であ
ると信じ、また知っています。」イエスは彼らに答えられた。
「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。
 …」
       ヨハネの福音書6章68-70節(p191)

序 論) ガリラヤで主イエスは五つのパンと二匹の魚で
五千人以上の人たちを養われる奇跡のみわざを成されまし
た。(3-14) そのことをきっかけとして主イエスはユダヤ
人たちと対話され、「いのちのパン」について話されまし
た。(26-59)
 その後の主イエスと弟子たちとのやりとりを通して示さ
れることは…

1.父なる神様が御子に与えてくださる者たち
 主イエスの言葉(53-58)を文字通りに受け取った弟子

たちは、主への不信の思いを語ります。(60)
 弟子たちのつぶやきを聞かれた主イエスは彼らに答えら
れました。(61-65)
 天から下って来られた主は、ご自身の十字架の死と復活
の後の昇天について語られます。(62) 
「人の子」は主イエスご自身のことであり、「かつていたと
ころ」は、父なる神様のみもとです。
 主イエスが天から下って来られたことを受け入れない彼
らにとっては、これから主がなされる救いのみわざを信じ
ることはなおさら難しいことでした。
 主イエスの十字架と復活、昇天によって与えられる救い
の恵みにあずかることが永遠のいのちにあずかることなの
です。
 私たちに主イエスを信じる信仰を与え、いのちを与えて
くださるのは御霊(聖霊)のお働きです。(63)
 主はみことばを聞き、従って来た弟子たちのうちにも信
じない者がいることを知っておられました。(64)
 父なる神様が与えてくださらなければ誰も御子イエス様
のもとに来ることはできません。(65)(37、44節参照)

 2. 永遠のいのちのことばを持っておられるお方 
 主イエスの語られることが理解できず、主を受け入れる

ことができなくなった多くの弟子たちが去って行きました。
(66)
 主イエスは十二人の弟子たちに尋ねられます。(67)
 しかし、彼らは主のもとを離れようとはしませんでした。
シモン・ペテロは、彼らを代表して、その思いを率直に
語りました。(68-69)
 「神の聖者」(69)とは、神様が世から聖別された特別な
お方という意味です。彼らは主イエスをそのようなお方だ
と認めていました。
 十二人の弟子たちは、このときは、どうして主イエスが
「天から下って来た生けるパン」(51)なのか、また主が成
そうとしている贖いのみわざが何なのかをまだ十分にわかっ
てはいませんでした。
 それでも、彼らは主のもとから離れようとはしませんで
した。主イエスのみことば(永遠のいのちのことば)が彼ら
の心を捕えていたからです。「それなのにどうして今さら、
あなたから離れて、ほかの人のところへ行けるでしょう」、
そのような気持ちをもってペテロは主イエスに対する信仰を
表明したのです。
 ペテロの言葉を聞かれた主イエスはご自身が彼らを選ば
れたこと、そして、その中の一人、イスカリオテのユダが
裏切ろうとしていることを告げられました。(70-71)   

結 論)主イエスは、ここで語られた通り、十字架で死なれ
復活された後、主は天に昇られ、父なる神の右の御座に着
かれました。
 そして、弟子たちに聖霊を送ってくださいました。
 今も、主イエスはご自身を信じる者に聖霊を与えてくだ
さり、永遠のいのちに生かしてくださいます。
 私たちが、主イエスを信じる者とされたのは、
主イエスが私たちを選んでくださったからです。
  「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあ
なたがたを選び、あなたがたを任命しました。…」
        (ヨハネの福音書15章16節p216)
 主イエスを信じる者のうちに聖霊によって主がともに
生きておられます。その恵みを覚え、聖餐にあずかり、
主とともに歩んでまいりましょう。

 (参考)

 ハイデルベルク信仰問答81   聖餐について
 問81 どのような人が、主の食卓に来るべきですか。
答 自分の罪のために自己を嫌悪しながらも、キリストの苦
難と死とによってそれらが赦され、残る弱さも覆われること
をなおも信じ、さらにまた、よりいっそう自分の信仰が強
められ、自分の生活が正されることを切に求める人たちです。