話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下
ろして魚を捕りなさい。」
すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きま
したが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、
網を下ろしてみましょう。」
ルカの福音書5章4,5節(p.117)
序 論)ある朝、ゲネサレ湖(ガリラヤ湖)の岸辺で、一晩中
漁をし、一匹の魚も捕れずくたくたになりながら、網を洗
うシモン(ペテロ)や漁師仲間がいました。そのような彼
らの間に主イエスが立たれました。
今日は主イエスとペテロとのやり取りを通して、私たち
への語りかけを聞いて参りましょう。
本 論)
1、主のことばを聞く
主イエスはシモン(ペテロ)の舟に乗り込み、陸から少
し漕ぎ出すように頼まれました。(3)それは、神のことばを
聞こうとして押し寄せてきていた群衆から距離を取るため
でした。(1)彼らは、主イエスがカペナウムで癒しをな
さったり悪霊を追い出されたりしたことを見たり聞いたり
していました。ですから、純粋に神のことばを聞くという
だけでなく、その衣にでも触れたい、自分も癒していただ
きたいとの動機が彼らの中にはあったでしょう。
主イエスがペテロの舟に乗り込み、陸から少し離れるこ
とで人々との距離ができました。彼らはそれ以上、
主イエスに近づけず、できるのは主のおことばに耳を傾け
ることだけでした。主は集まった群衆に向かって舟から教
えられました。同時に、同じ舟に乗っているペテロたちも
主のおことばをすぐ近くで聞いたのでした。
私たちも色々な願いがありますが、まず第一に主のおこ
とばに耳を傾けることをイエス様は願っておられるのです。
2、主のことばに従う
主イエスは話が終わるとシモンに言われました。「深み
に漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」(4)
ペテロたち漁師は夜通し苦労しましたが、何も取れませ
んでした。彼らはプロの漁師ですからガリラヤ湖は自分の
庭のようなものです。季節や天候によって魚が捕れるポイ
ントや時間も知っていました。ですから大工の息子であり
漁においては素人である主イエスから「網を下ろして魚を
捕りなさい」と言われても反感が沸くのが当然かと思えま
す。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れま
せんでした」という彼の言葉の中にはそのような思いが感
じられます。また、魚の捕れやすい夜間でも不漁だったの
だから、太陽が昇った今ではなおさら捕れるはずがないで
すよという気持ちが表れていました。
しかし、ペテロは「でも、おことばですので、網を下ろ
してみましょう。」(5)とそのおことばの通りに従った
のでした。「おことばですので」という言葉には即座に従
う意味が含まれています。この聖書箇所の前にペテロは主
イエスのおことばによって姑の熱を癒していただく経験を
しています。(4:38、39)また、群衆に語る主のおことば
に権威を感じ取っていたことでしょう。
すると驚くべきことが起こり、ペテロは大漁の奇跡を体
験しました。そして、主イエスの前にひれ伏しました。
「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから」
(8)ここでペテロはそれまで「先生」とよんでいたのに
「主よ」と言います。神の御子であるイエス様の圧倒的な
力を見せつけられ、自分が無力であり、本来ならば、この
お方に近づくことすらできない罪人であることを思い知り
ました。
ペテロの告白に続いて、主イエスは「恐れることはない。
今から後、あなたは人間を捕るようになるのです」(10)と
言われます。「捕るようになる」の原文を直訳すると「生
きたまま捕らえる者となる」です。通常、漁によって魚は
捕らえられ死んでしまいます。しかし、主イエスが言われ
るのは生け捕りにして命を与えるということです。
ペテロがまず主イエスに「捕らえられ」新しい命を与え
られたのです。そして、今後は人を捕らえて主の命に生か
すために働く者へと召されたのです。
結 論)弟子になってからペテロは三年半イエス様に仕え
ましたが、最後に主を裏切るという失敗があり、自分の罪
に悩みました。そんなペテロによみがえられたイエス様は
「あなたはわたしを愛していますか」と三度お尋ねになり、
「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたが
ご存じです。」(ヨハネ21:15-17)とペテロも三度答え
ました。三度否んだ彼を主は赦し、もう一度弟子としてお
立てになりました。ここでも、イエス様によってペテロは
生かされました。
この後、ペテロは三十年余りにわたって諸教会を導くこ
とになりますが、その間、激しい迫害に何度も会いながら
もぶれることがありませんでした。最後は殉教したと言わ
れますが、死に至るまで忠実であることができたのも主の
みことばの力であったでしょう。
福音は人を生かし新たにします。私たちも色々なことが
起こってきますが、みことばによって生かされていくなら
ば、私たちの人生が徒労に終わることは決してありません。
主のおことばを聞き、蓄え、従って参りましょう。