ヨハネの福音書6章34~40節

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしの
もとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者
はどんなときにも、決して渇くことがありません。…」
             ヨハネの福音書6章35節 (p.189)

序 論) 主イエスはガリラヤの群衆に、ご自身が「天から
のまことのパン」であり、「神のパン」であることを語ら
れました。(32-33)
 主のみことばの意味を理解できない彼らはさらに尋ね
ます。(34) 主が答えられ、さらに語られたことを通して
示されることは…

1.主ご自身がいのちのパン
 ガリラヤの人たちが求めているパンは、肉体の空腹を満
たすパンでした。そして、それを主イエスに期待していた
のです。(34)
 主は、父なる神様が与えてくださるまことのパン、いの
ちのパンとはご自身であることを告げられました。(35)
 いのちのパンである主イエスを信じる者に聖霊が与えら
れます。
 主イエスはサマリアで出会った女性に「… わたしが与え
る水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧
き出ます」と言われました。(4章14節p182)
 ここで主が言われる「永遠のいのちへの水」とは聖霊のこ
とです。
 主は、「いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る
食べ物」(5章27節)であり、「渇くことのない水」であ
る聖霊を与え、私たちの心を満たしてくださいます。
 主イエスはこのように語られ、ガリラヤの人たちを招か
れましたが、彼らは信じませんでした。(36)
彼らは主イエスを父なる神様が遣わされたお方だと信じる
ことができなかったのです。
 父なる神様が主イエスを信じることを願って人々を主の
もとに送ってくださいます。(37) そして、主イエスはご
自分のもとに来た人たちを受け入れてくださるのです。
 今も、主イエスは「わたしのもとに来なさい…」と招い
ておられます。
           (マタイの福音書11章28-30節p21)

 2. 父なる神のみこころ
 主イエスが言われたご自分の「思い」と「わたしを遣わ
された方(父なる神様)」の「みこころ」(38)という言葉は、
原語では同じ言葉です。主イエスはご自分の思い(ご意志)
で行われるのではなく、父なる神様のみこころを果たすと
言われます。
 新約聖書の中に神様のみこころとは何かが語られている
箇所がいくつかあります。
     (テサロニケ人への手紙 第一 4章3節p411)
             (ヘブル人への手紙10章10節p449)
 ここでも、主イエスは父なる神様のみこころとは何かを
はっきり示されました。(39) それは私たちが永遠のいの
ちを得ること、終わりの日に復活させることです。
 「終わりの日」とはこの後、十字架にかかられ、復活さ
れ天に昇られる主イエスが、再びこの地上に来られる日の
ことです。
 40節でもう一度、そのことを語られます。父なる神様
は御子イエス様を信じる者に永遠のいのちを与えられるた
めに、御子をこの地上に遣わしてくださいました。そして
 主イエスを信じる者を終わりの日に主がよみがえらせてく
ださいます。
 主イエスは一人も失うことなく、終わりの日に復活させ
てくださる。それが父なる神様のみこころであり、それを
成し遂げるために主は十字架に向かって進んで行かれたの
です。          

結 論)私たちはいのちのパンである主イエスによって永遠
のいのちに生かされます。
 主イエスは私たちが地上に生きるときも、地上の生涯を
終えて御国に移されるときも、私たちにとっていのちのパ
ンです。
 主はわたしたちに聖霊とみことばを与えてくださいます。
 私たちにとっての霊の糧である、聖霊とみことばを、祈
りと聖書の言葉を読み、聞くことを通して受取りましょう。
 私たちも、弟子たちのように、なくなってしまう食べ物
のためではなく、いつまでもなくならない永遠のいのちに
至る食べ物のために奉仕させていただきたいと願います。
(27)
 主からの霊の糧を豊かにいただき、いのちのパンを魂の
飢え渇いている人たちに配る者、みことばを伝え、
主イエスを証しする者とさせていただきましょう。