そして、二十五ないし三十スタディオンほど漕ぎ出したこ
ろ、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来ら
れるのを見て恐れた。しかし、イエスは彼らに言われた。
「わたしだ。恐れることはない。」
ヨハネの福音書6章20-21節 (p.188)
序 論) 過越の祭りが間近に迫っていた頃、主イエスは、
男性だけでも五千人の人々にパンと魚を分け与える
みわざをなされました。(第四のしるし)(6章9-14節)
ガリラヤの群衆は、主を王にしようとしましたが、
主は山に退かれました。(15)
その日の夕方以降に起こった出来事を通して示される
ことは…
1.ガリラヤ湖の強風
弟子たちはガリラヤ湖畔に下りて行き舟に乗り込みまし
た。(16-17a)
彼らを熱狂的な群衆から逃れさせるため、主イエスは彼
らを舟に乗り込ませられたのでしょう。
主は、後から舟のところに来られることになっていたの
かもしれません。
しかし、すでにあたりは暗く、主はまだ彼らのところに
来られていませんでした。(17b)
弟子たちは一足先にカペナウムに向かいます。(17a)
途中で強風が吹いて湖が荒れ始めました。(18)
彼らは行く手を阻まれますが、舟を漕ぎ続けました。
弟子たちが舟で強風の中を進んでいく姿は、私たちの
日々の歩みを象徴しています。
私たちもその歩みの途上で様々な苦難や試みにあいます。 (詩篇116篇3節p1057)
そのような時もあわれみ深い神様に信頼し、主の御名を
呼び求めましょう。神様は守りの御手を私たちに伸べてく
ださいます。
(詩篇116篇4-7節p1057)
2. 湖の上を歩かれ舟に近づかれる主
「二十五ないし三十スタディオン」(19)は、約40~
50㎞の距離です。これは、舟がガリラヤ湖の真ん中あた
りに来たことを示しています。
そこへ主イエスが湖上を歩いて舟に近づいてこられまし
た。(19)(第五のしるし)
それを見た弟子たちは恐れました。
主は怖じ惑う彼らに御声をかけられます。(20)
「わたしだ」は、原文のギリシア語では「エゴー・エイミ」
で英語の直訳では「アイ・アム( I am)になります。
(英訳聖書では It is I. と訳されている)
そして、「わたしだ」の言葉は、旧約で神様がモーセ
とのやりとりの中で伝えられたご自身の御名「わたしはあ
る」のみことばと重なります。(出エジプト記3章14節
p102)
主イエスのこのみことばは主ご自身が神であられること
を示しています。
主からの励ましをいただいた弟子たちは主を喜んで舟に
迎えました。(20a)
その後、舟はすぐ目的地に着きます。(20b)
このように主イエスは、弟子たちを訓練され、その中で、
ご自身が神であられることを、そのみわざを通して示され
ました。
しかし、このときはまだ彼らは、主イエスがどのような
お方かを悟ることができなかったのです。
それは「その心が頑なになっていたから」でした。
(マルコによる福音書6章52節p79)
結 論)私たちは主イエスの身代わりの死によって、罪赦さ
れ神の子とされました。
私たちも「強風」や「逆風」と思えるような困難や苦し
みに遭うときがあります。様々な出来事に不安や恐れを抱
いてしまうこともあります。
しかし、主イエスは、今も私たちのそばで、御声をかけ、
励ましてくださいます。
主は私たちと共におられ、聖書を通し、語り励ましてく
ださるのです。そして良き導きと助けを与えてくださいま
す。
「私は生ける者の地で 主の御前を歩みます。」
(詩篇116篇10節p1057)
私たちの地上の生涯の最終目的地である「天の御国」に
迎え入れられるまで、主の恵みに応答しつつ、主と共に歩
み続けましょう。
(参考)
今回の聖書箇所
ヨハネの福音書6章16-21節(p188) の並行箇所は
マタイの福音書14章22-27節(p29)
マルコの福音書6章45-52節(p78)