ヨハネの福音書5章31節~47節

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、
聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証しして
いるものです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るた
めにわたしのもとに来ようとはしません。
ヨハネの福音書5章39-40節(p.187)

序論) 安息日に主イエスが一人の病人をいやされたこと
がきっかけで、主とユダヤ人たち(宗教指導者たち)の間で論
争が起こりました。(1-18)
 主イエスはまずご自分が神の御子であることと永遠のいの
ちについて語られました。(17-26)
 さらに主イエスは御自身を証しするものについて話され
ます。主のみことばを通して示されることは…

1.主イエスを証しするもの
 ユダヤ人たちは二人または三人の証言によって事柄の真偽

を確かめました。(31)(申命記19章15節p349)
 主イエスはご自分を証しするものとして四つのことを挙げ
られます。(32)
 第一に洗礼者ヨハネです。(33-35)
 彼は「輝くともしび」として、ユダヤの民に希望を与える
存在でした。彼は人々に悔い改めをとき、後から来られる救
い主を自分より優った方であると証ししました。
          (ヨハネの福音書1章27節p176)
 第二に「ヨハネの証しよりすぐれた証し」(36)として、ご
自身の成し遂げられるわざが挙げられます。
 その一つが病人をいやされたみわざでした。(2-9a)
 第三は、父なる神様が御子イエス様を地上に遣わされ、
御子によって救いのみわざを成そうとしておられたことです。
(37)
 さらに第四の証言として、聖書(旧約聖書)が挙げられます。
(38-39)
 旧約聖書は、メシア(救い主)がどのようなお方であるかを
証ししています。
 旧約聖書には、父なる神様が救い主をユダヤの地に遣わさ
れること、救い主が苦難を受けられること等が預言されてい
ます。そして、その預言通りの救い主として来られたお方が
イエス様でした。

2.モーセのような一人の預言者
 主イエスはパリサイ人たちのことを「偽善者」と非難され

ました。(マタイの福音書23章13-31節p48)
 彼らは旧約聖書の律法や自分たちが定めた規定の細かい
解釈にとらわれていました。
 彼らの旧約聖書に関する知識が自分たちの罪によってゆが
められ、それが人を欺くための道具になっていました。
 主イエスは、ユダヤ人たちの偽善の根本原因は真実に
神様を愛する愛がないことである、と語られました。(42)
 「わたしの父の名によって」は、わたしの父なる神様の
信任を受けて、という意味です。そのようにして、ユダヤの
民のもとに来られた主イエスを彼らは受け入れることができ
ませんでした。(43)
 彼らは互いの間での栄誉、人からの栄誉だけを求めていま
した。しかし、神様からの栄誉を求めてはいなかったのです。
(44)
 主イエスは、ここまで語られてきたことの結びとして、
彼ら自身が権威として信頼していたモーセを引き合いに出さ
れます。(45)
 神様はモーセに彼のような「一人の預言者」を遣わされる
ことを約束されました。(申命記18章18節p348)
 ここで語られている預言者はイエス様のことです。(46)
      (使徒の働き3章22節p238、7章37節p246)
 ユダヤ人たちが律法によって自分たちの罪を示され、
罪の赦しと永遠のいのちを求めていたなら洗礼者ヨハネの
悔い改めの勧めを受け入れ、救い主の到来に備えることが
できたことでしょう。しかし、彼らは旧約聖書のみことばを
自分たちのうちにとどめませんでした。(38)
 彼らは自分たちの罪に気づかず、目の前におられる
主イエスを信じ、受け入れることができなかったのです。 

結論)ユダヤ人たちは熱心に旧約聖書を研究しました。しか
し、聖書が証ししている、主イエスのもとに来ようとしま
せんでした。
 現在、私たちには、旧約聖書、新約聖書が与えられて
います。
 新約聖書は、十字架にかかられ復活されたイエス様こそ
が旧約聖書で預言されていた救い主であることを証しして
います。
 聖書を読み、イエス様を知り、救い主と信じ、心に受け
入れることが父なる神様が最も願われていることです。
 今も、主イエスは私たちにご自身のもとに来ることを願
い、招いておられます。
         (マタイの福音書10章28節p21)
 聖書を読み、みことばを心にとどめ、黙想することを
続けてまいりましょう。
 みことばを求め、父なる神様に祈り、主イエスとの交わ
りをさらに深めつつ、主とともに歩んでまいりましょう。