そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを
裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、
民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々
を加えて一つにしてくださった。
使徒の働き 2章46-47節 (p.236)
序 論)ペンテコステの日、聖霊が弟子たちに降りました。
(2章1-4節p233)。その後、弟子のペテロが過越の祭り
に集まっていた人々に語りかけました。(2章14節p234)
ペテロは主イエスの十字架と復活を語り、神様が遣わさ
れたキリスト(救い主)がイエス様であることを証ししまし
た。(2章22~36節)
その説教を聴いた人々は、認罪による悔い改めと
主イエスを信じる信仰による救いへと導かれました。
そして三千人が洗礼を受けました。(2章37-41節)
弟子たちの仲間に加わった彼らが行ったこととそれを通
して示されることは…
1.初代教会において行われていたこと
彼らは使徒たちの「教え」を守りました。(42) 教えの
内容は、神様がイエス・キリストによって成された救いの
みわざ(福音)と新しい共同体での生活の指針でした。それ
らは、後に書かれた福音書や使徒たちの書簡に記されてい
きます。
「交わり」は、キリストの恵みを共に分かち合うこと
です。
「パンを裂く」とは、食事を共にすることですが、それ
は単なる会食ではありません。主イエスは弟子たちとの最
後の晩餐において、パンを裂き、弟子たちに渡して、「こ
れは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだで
す。わたしを覚えて、これを行いなさい。」と言われまし
た。(ルカの福音書22章19節p165) その聖餐の恵み
に共にあずかることを意味しています。
2. 主がなされるみわざ
43~47節は、聖霊の力がどこに現れたかが語られてい
ます。
「恐れ」(ここでは「畏れ」という意味)は、彼らが、
主イエスが生きて働いておられることを覚え、癒しのみわ
ざ等がなされたことによって生じました。(43)
また、財産を持っている人たちは、神様の恵みに応答し
ささげものをしました。そして必要に応じて分配しました。
(44-45)(ここでの「一切の物を共有し」は、全財産の共有
という意味ではない。)
信徒たちは、神殿に集まって礼拝しました。また家々で
「パンを裂き」、愛餐(食事と交わり)のときを持っていま
した。(46) これらのことから礼拝と聖餐の形が徐々に整
えられていきました。
彼らは、主にある喜びをもって神様を賛美し、真心をも
って生活し、周りの人たちにも愛をもって対応していまし
た。そのようなことから「民全体から好意を持たれて」
いました。(47) 彼らは、日々の生活、信仰に生きる姿を
通して、主イエスを証ししたのです。
このように「仲間に加わった」人々は、「使徒たちの教
え」、みことばを学び、交わり、祈る忠実な信仰生活を送
りました。
そして、「主は、毎日、救われる人々を加えて一つにし
て」くださったのです。(47) 「主は…」と語られている
ようにこれは主がなされたみわざでした。
結 論)現在も、教会の中心的な行いは、礼拝、交わり、
奉仕、宣教です。これらのことを通して、私たちは日々、
造り変えられ、キリストに向かって共に成長していきます。
そして、キリストのからだなる教会が建てあげられてい
くのです。 (エペソ人への手紙4章15-16節p388)
今も、全世界において主は働いておられます。そして、
教会を通して救いのみわざを進められます。
聖霊の力、福音の力に信頼し、互いに祈り合い、支え合
いながら歩んでまいりましょう。