「…しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって
父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような
人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって
礼拝しなければなりません。」
ヨハネの福音書4章23-24節 (p.183)
序 論)主イエスがユダヤからガリラヤへ行こうとされた
とき、あえてユダヤ人が行こうとしなかったサマリアの町
に向かわれました。そこで一人の女性に出会われます。
(4章3-7節)
主イエスは彼女との会話の中で、生ける水、永遠のいの
ちへの水のことを話されました。(10、13-14)
その後の主イエスのみことばを通して示されることは
…
本 論)
1.父なる神を礼拝する時が来る
昼日中(ひるひなか)、その女性は人目をはばかるように
して井戸に来ていました。彼女の生活の関心は水でした。
毎日汲みに来なくてもよい水が欲しかったのです。
主イエスは彼女の問題を指摘されました。(16-18)
それは誰にも知られたくないことでした。しかし、
主イエスはすべてをご存じだったのです。
自分の罪を明確に指摘された彼女は次に礼拝について話
します。(19-20) 彼女も神様を礼拝したいと願っていた
のかもしれません。
かつてサマリアはアッシリア帝国に滅ぼされ、その支配
下に入りました。(BC743年) その植民地政策によって
サマリア人は入植した異邦人の影響を受けるようになりま
した。
「私たちの先祖」(サマリア人)は「この山」(ゲリジム山)
に独自に神殿を建設しました。(BC4世紀頃)(20)
そのような経緯もあり、当時、ユダヤ人とサマリア人の
間には対立感情が強かったのです。(6c)
主イエスは、彼女に、特定の場所ではなくどこででも
父なる神様を礼拝する時が来る、と告げられました。(21)
2. 神の子として父なる神を礼拝する
礼拝をめぐってのユダヤ人とサマリア人の対立に関して
も「まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝
する時が来ます。…」(23)と主イエスは答えられました。
主イエスはここで「神を礼拝する」ではなく、「父を礼
拝する」と仰っておられます。
使徒パウロは、神様を「アバ、父」と呼ぶのは、子たる
身分を授ける霊、御子の霊が与えられているからだと告げ
ています。(ローマ人への手紙8章15節p309)
(ガラテヤ人への手紙4章6節p379)
主イエスを神の御子、救い主と信じる者の内には、
神様から御霊(聖霊)が与えられています。
御霊が神様を父と呼ぶことができる者へと私たちを変え
てくださいました。御霊によって生まれた者は、神の子と
して神様を父と呼び礼拝をささげるのです。
「御霊と真理によって」(23)の「よって」は、原語では
「~のうちに」という意味です。「御霊と真理のうちにあ
って」という日本語訳もあります。
私たちは、神の霊(御霊)と真理のうちに入れられ、聖霊
によって主イエスと共に父なる神様を礼拝するのです。
この女性も、「キリスト」(ギリシア語で「救い主」とい
う意味)(ヘブライ語では「メシア」)が来られることを待ち
望んでいました。
彼女の言葉に対して、主イエスは「あなたと話している
このわたしがそれです。」とご自身がキリストであること
を証しされました。(25)
このサマリアの女性は、人目を避け、一人で井戸のとこ
ろに来ていました。
しかし、主イエスとの対話を経て、彼女は、水がめを置
いたまま町に行き、人々に「…もしかすると、この方が
キリストなのでしょうか。」と伝えに行くほどに大きく変
えられました。(29) 彼女も主イエスとお出会いし、心が
新たにされたのです。
結 論)やがて主イエスは、十字架で死なれ、復活されます。
それは、人が罪赦され、父なる神様に立ち帰って、父を礼
拝し、神様を第一とする生活に入れるようにするためでし
た。すなわち「永遠のいのちの水」(聖霊)を与えるためで
した。
私たちは、「ヤコブの井戸の水」(12)(衣食住のために
必要なものや真の神様以外のもの)を求めやすい者です。
しかし、主イエスを信じることによってのみ、私たちは罪
赦され、永遠のいのちへの水を得、父なる神様を礼拝する
者へと変えられます。
主イエスを救い主と信じ、心に受け入れるなら私の心に
もいのちの水が湧き上がってくるのです。
主イエスを救い主と信じる私たちも御霊によって心新た
にされました。
私たちは、主イエスと共に父なる神様を礼拝しつつ歩み
ます。