ルカの福音書17章11~19節

そのうちの一人は、自分が癒やされたことが分かると、
大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリア人
であった。
            ルカ17章15-16節 (p.153)

序 論)主イエスと弟子たちはエルサレムに向かって旅を
しておられました。そして、サマリアとガリラヤとの間を
通り、ある村に入られます。(11) ここで起こった出来事
と主イエスの言行を通して示されることは…

本 論)
1.十人は遠く離れたところから主に叫んだ
 その村に、十人のツァラアト(「重い皮膚病」(口語訳))、

当時の伝染性の病)をわずらった人たちがいました。(12)
 彼らは主イエスを出迎えました。しかし、主に近づくこ
とができませんでした。
 それは当時、この病になった人は他の人と一定の距離を
保つ必要があったからです。また「(自分は)汚れている、
汚れている」と叫んで、人が近づいてこないようにしなけ
ればなりませんでした。
                       (レビ記13章45~46節p199)
 十人は、主イエスが必ず癒してくださると信じて、遠く
離れたところから主に向かって「私たちをあわれんでくだ
さい」と叫びます。(13)
 この「遠く離れたところ」からの叫びを、主イエスは聞
き分けられ、その求めに応えてくださいました。
 私たちも、かつては神様から遠く離れたところにいた者
でした。しかし、そのような私たちの心の叫びも主イエス
はすべてご存じであり、それを聞いておられたのです。
 主イエスは十人の言葉を聞き、彼らをご覧になりました。
そして、彼らに、祭司のところに行って、自分たちのから
だを見せるように言われました。(14ab)
 病が癒されたかどうかを第一に判断するのは祭司でした
から、主イエスはこのように言われたのです。
                          (レビ記14章2-3節p200)

2. 感謝した一人のサマリア人
 十人(九人のユダヤ人と一人のサマリヤ人)は、主イエス

のみことばを信じ、祭司のところに向かいます。その途中、
彼らの病は癒されたのです。(14c)
 その後、主イエスのもとに引き返し、帰ってきたのは一
人だけでした。彼は「他国人」(18)のサマリア人でした。
 (当時、サマリア人はユダヤ人から低く見られていました。)
 彼だけが、「大声で神をほめたたえながら」、主イエス
のところに来ました。そして、礼拝の姿勢を取り、「足も
とにひれ伏して感謝した」のです。(15-16)
 主は、一人のサマリア人が戻ってきたことに驚かれ、九
人のユダヤ人が戻らなかったことを嘆かれました。(17-18)
 主イエスは、ご自分のもとに帰ってきたこの人に愛を込
めて「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを
救ったのです。」と言われ、送り出されました。(19)
 このとき主イエスを礼拝し、感謝の思いを示したのはこ
のサマリア人だけでした。
 主イエスはそれを「あなたの信仰」と言われました。
 彼は、病が癒されただけでなく主イエスを神の子、救い
主として信じ、足もとにひれ伏し礼拝したのです。
 今回の礼拝箇所の交読文は詩篇51篇(口語訳)です。
 ダビデは大きな罪を犯しましたが、神様の前に自分の
罪を認め、告白したとき、その罪は赦され、心が新たにさ
れました。これは罪の赦しと喜びの回復を願い、祈りつつ
歌っている詩篇です。(詩篇51篇1-2、7-10節p985) 

結 論)「立ち上がって行きなさい。」(19)の「立ち上がる」
の原語には「復活する」という意味があります。
 私たちも主イエスの十字架によって罪赦され、復活によ
って新しいいのちに生かされています。
 また「行く」の原語には「旅をする」という意味があり
ます。私たちは主イエスとともに新たな人生の旅路を歩ん
でいきます。
 今、神様は聖霊によって私たちのすぐ近くにおられ、私
たちの祈りを聞いておられます。苦しみや悩み、困難があ
るとき、それを正直に主イエスに打ち明け、祈りましょう。
主は必要な導きや助けを与えてくださいます。
 私たちもこのときの九人のユダヤ人のように主への感謝
を忘れやすい者です。
 神の御子、救い主イエス様への感謝をもって、主を礼拝
し、神様を賛美しましょう。
 罪赦され、心新たにされた喜びをもって、このお方に私
たちの歩みをおゆだねし、従ってまいりましょう。