わがたましいよ 主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ
聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ 主をほめたたえよ。
主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
詩篇103篇1-2節 (p.1040)
序 論)詩篇103篇は、「ダビデによる」と表題がついて
います。もともとダビデがこの歌の原型を作り、それが
歌い継がれる中でより整えられ、今の形になったのでは
と言われています。
「全詩篇中最も美しい賛美の詩」とも言われています。
この詩篇を通して示されることは…
1.すべての恵みを心にとめる
詩人は、この詩篇の最初と最後に「わがたましいよ、
主をほめたたえよ」と三度(1、2、22)繰り返して歌います。
「私のうちにあるすべてのものよ…」と私の知性、感情、
意志等、自分の持てるすべてのものをもって、神様を賛美
するようにと呼びかけています。
聖霊に導かれた詩人が心から神様を賛美するようにと呼
び掛けます。
「主が良くしてくださったこと」(2)は、新共同訳では、
「主の御計らい」と訳されています。その一つ一つが3~
5節に語られています。
それらは「咎(罪)の赦し」、「病の癒し」、「いのちの
贖い」、「恵みとあわれみ」、「良いもので満ちたらせて
くださること」、「新しくしてくださること」です。
それらのことを「何一つ忘れるな」(2)と告げます。
ここでの「咎(とが)」(「不義」口語訳)は人間の「罪」を
象徴する言葉です。(3)
罪から解放されること、罪が赦されること、これは人間
の力では出来ません。しかし、神様が私たちに与えて下さ
った御子イエス様が罪の赦しの道を開いて下さいました。
私たちの罪からの解放、それは、イエス様の十字架の死に
よって成されたのです。
「穴」(口語訳、新共同訳では「墓」と訳されている)(4)
をある英訳聖書(KJV)は「破滅」と訳しています。罪によ
りもたらされた霊的死(神様との交わりが失われている状態)
からイエス様は、私たちをあがない出し、復活によって永遠
の命に生かして下さいました。
(エペソ人への手紙2章1-5節p385)
2.神様の恵みとあわれみ
さらに、神様は、私たちの求め、願いに応え、良きもの
で満たして下さいます。(5)
「鷲のように新しくなる。」(5) 猛禽類(もうきんるい)
の鷲(わし)は、体も大きく、力強く、高く飛翔することが
できます。体の小さな鳥よりも長命です。神様からの命と
と力が、鷲(わし)の生命力にたとえられています。
私たちは神の恵みによって、新たな力をいただくことが
できるのです。
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように
翼を広げて、上ることができる。走っても力衰えず、歩い
ても疲れない。」
(イザヤ書40章31節 p.998)
5節までは、個人的な救いの体験、恵みの証しが記され
ていますが、6~12節は、イスラエル民族の恵みの証し
が歌われています。神様はイスラエルの歴史を通して正義
と公正を示されました。出エジプトやバビロン捕囚からの
解放は、神様が成された救いのみわざです。
モーセは出エジプトの後、進むべき道を神様に尋ねます。
(7)(出エジプト記33章13節 p.160)
それは、モーセがシナイ山に登って十戒めを神様からい
ただいていた留守中、山のふもとで偶像礼拝に陥ってしま
ったイスラエルの民を神様が見離そうとされた時でした。
神様はモーセのとりなしの祈りに応えられて、民を見捨
てることをなさらず、カナンへの道を示し続けられました。
(出エジプト記32章31-34節p159)
「東が西から遠く離れているように…」(12)は、神様が
なさる罪の赦しは完全なものであることを示しています。
人の一生も草のようにはかなく、その栄えは野の花のよ
うに短いものです。(15)しかし、神様のあわれみは永遠で
あり、神様はキリストによって私たちの命を輝かせて下さ
います。
結 論) 神様はあわれみに富み、恵み深いお方です。(8~
9,13) 神様の最大の恵みは、イエス・キリストの十字架と
復活によって示されました。
神様が主イエスによって成された救いのみわざによって
私たちの罪が赦され、死から命へ移されました。これが
これからも変わらず一番に感謝すべき恵みです。
一日一日、神様の恵みを心に留めつつ、歩みましょう。
この一年を振り返り、感謝の祈り、賛美をささげながら、
新しい年のために祈り、備え、新しい恵みを待ち望みまし
ょう。