イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇き
ます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも
決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その
人の内で泉となり、 永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
ヨハネの福音書4章13-14節(p181)
序 論)主イエスを信じ、従う弟子たちの数が増えていき
ます。それを伝え聞いたパリサイ人たちの主に対する反感
が次第に強くなっていきました。(1-2)
主イエスと弟子たちはユダヤからガリラヤに向かわれま
す。(3) 主はあえてサマリアを通られます。(4)
そこで、主イエスは一人の女性と話されます。
主の言動を通して示されることは…
本 論)
1、サマリヤの女性と話される主イエス
当時、サマリヤ人を嫌ってユダヤ人はサマリヤを迂回
(うかい)して、ガリラヤへ旅をしていました。
しかし、主イエスは「サマリヤを通っていかなければな
らなかった」のです。(4)
それは一人の人と出会われるためでした。
父なる神様が、主イエスをサマリヤの町スカルに導かれ
一人の女性に出会わせてくださったのです。
昼の12頃、主イエスは「ヤコブの井戸」(ヤコブの堀
った井戸)の傍らで休んでおられました。(5-6)
水を汲みに来た彼女に、主イエスは水を求められます。
(7)
弟子たちは町に出かけていました。(8)
当時、ユダヤ人とサマリヤ人は歴史的な経緯のため反目
していて互いに話もしないような状況でした。(9)
しかし、主イエスは彼女に話されました。(10)
ここでの「神の賜物」は「生ける水」のことです。
主イエスの言葉を聞いても、彼女は「生ける水」のこと
を、「井戸から出るわき水」としか思っていませんでした。
(11-12)
2、「生ける水」を与えてくださる主イエス
主イエスは、彼女の心を、ご自身が与えようとしておら
れる「生ける水」(「永遠のいのちへの水」(14))へ導こう
としておられました。
まずヤコブの井戸からの水は、たとえ喉をうるおしたと
しても、また喉が渇くものであることを指摘されました。
(13)
「ヤコブの井戸からの水」は、この世が与えるもの(名
誉、富、権勢、快楽、知識等)を少々しています。それら
(この世が与える水)は飲めば飲むほど渇き、満たされるこ
とがありません。それらは、心の「最深欲求」を満たすも
のではないのです。
しかし、主イエスが与えてくださる水は「その人の内で
泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出る」のです。(14)
このとき、まだ彼女は主イエスが与えようとされる水の
真の意味はわかっていませんでした。しかし、彼女は「そ
の水」を求めました。(15)
この女性が、生ける水を求めたとき、主イエスは夫を
連れて来なさい、と言われました。(16-18)
彼女の心の渇きの原因は、そこにあったのです。
主イエスのことばを受け止め、彼女は自分の現実を正直
に認め、告白しました。(17-18)
主イエスとの対話を通して、この後、彼女は信仰に導か
れました。
結 論)主イエスが言われる「永遠のいのちの水」は、
聖霊のことです。
聖霊は、主イエスだけが与えてくださいます。
主イエスを信じ、心に受け入れるとき、聖霊は与えら
れます。聖霊は「内で」と言われているように内在さ
れるものです。
聖霊によって、主イエスが私たちの内に生きてくださる
のです。そして、聖霊は私たちを永遠のいのちに生かして
くださるのです。
主イエスによって、私たちは心満たされ、喜びが与えられ
ています。聖書のことばを内にたくわえ、聖霊によって
主イエスとの交わりが与えられていることを感謝し、日々
の生活を営んでまいりましょう。
(参考)
「人間の心には神以外に埋めることのできない空洞が
ある。」(『パンセ』)
ブレーズ・パスカル(1623-1662)
「あなたを讃えることが喜びであるように、それは
あなたがわれわれをあなたに向けて創られたからです。
そのためわれわれの心は あなたのうちで憩うまでは
安らぎを得ません。」(『告白録』宮谷宣史訳)
アウレリウス・アウグスティヌス(354-430)