ヨハネの福音書3章1~15節

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言い
ます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることは
できません。」…「まことに、まことに、あなたに言います。
人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入るこ
とはできません。…」
          ヨハネ 3章3,5節 (p.179)

 序 論)ある夜、パリサイ人であり、ユダヤ人指導者(議会
の議員)のニコデモが主イエスを訪ねて来ました。(1-2a)
 主イエスとニコデモのやりとり、主のみ言葉から示され
ることは…

本 論)1、神の国を見る、神の国に入る
 ユダヤ人たち(宗教指導者たち)が、主イエスを受け入れ
ない中、ニコデモは主が「神のもとから来られた教師であ
ること」を知り、「神がともにおられるお方」であると感
じていました。(2)
 主イエスは答えられます。「新たに」という言葉の原語
には「上から」という意味もあります。神様によって新た
に生まれることを主は告げられました。(3)
 しかし、ニコデモはその意味が分からず、「もう一度
母の胎に入いること」だと誤解してしまいました。(4)
 「神の国」(3)(5)とは「神のご支配」という意味です。
聖霊によって新しく生まれなければ神の国を見、そこに
入ることはできません。(5-7)
 「風」(8)のもとの言葉には「霊」という意味がありま
す。主イエスはここで聖霊のお働きを暗示しておられます。
 しかし、ニコデモはまだこの時は主イエスのみ言葉を理
解することはできませんでした。(9-10)
 新しく生まれることは、人間の意思や努力によるのでは
ありません。それは、人の力を超えた聖霊のお働きです。
 聖霊が働かれるとき、人はイエス様を救い主と信じるこ
とができ、新しく生まれることができるのです。
(Ⅰコリント人への手紙12章3節p344)

2、人の子も上げられなければならない
 「地上のこと」(12)は、地上で主イエスが既に人々の
前で明らかにしてこられた「しるし」のことです。
 「天上のこと」(12)とは、主イエスがこれから成され
る救いのみわざだと受け止めることができます。
 そして主イエスはご自身のことを証しされました。
   (11)(13)
 私たちには、新しく生まれることを妨げているものが
あります。それが罪です。
 私たちが新しく生まれるためには、罪の赦しが必要です。
 後に、主イエスは私たちの罪を赦すために十字架にかか
られ、すべての人の罪の罰を身代わりに受けてくださいます。
 そのことを示すために、主は旧約聖書の一つの出来事を
語られました。(14)(民数記21章4-9節 p.277)
 かつてイスラエルの民がエジプトの奴隷状態から解放さ
れた後、荒野でさまよいました。彼らはそこで神様に対し
てつぶやき、罪を犯しました。そのために多くの人が死に
ました。
 それで、彼らは指導者モーセにとりなしを頼みます。
神様は、モーセに青銅の蛇を作り、それを竿の上にかける
ように命じられます。その蛇を仰ぎ見る者は生きると約束
されました。
 言われた通りにした人々は死を免れることができました。
 同じように、主イエスの十字架を仰ぎ見る者(主イエス
の十字架による救いを信じる者)は、罪赦され、救われる
のです。
 そして、永遠の命に生かされます。(15)

結 論)ニコデモも私たちも、神様の前には罪ある者です。
彼は、まだ自分が救いを必要としている者だと気づいては
いませんでした。
 しかし、主イエスと出会うことによって、自分の本当の
姿を知り、後にも主イエスを弁護したり、埋葬にも関わり
ました。
        (ヨハネの福音書7章50-51節p.195                                                           19章39-40節p.226)
 ニコデモのように、私たちにも救いが必要です。
 主イエスは私たちの罪を背負って十字架にかかられて
死なれました。そして、復活され、天に上られ(昇られ)
ました。(13)
 聖霊が私たちにも働かれて、主イエスを信じ、受け入れ
ることができるようにしてくださいます。そのとき、私た
ちは罪が赦され、新しく生まれるのです。

(参考)
    「フィレンツェのピエタ」(1547-1553頃制作)     
            (ドゥオーモ博物館)
       ミケランジェロ(イタリアの芸術家 1475-1564)

  新聖歌199    「主を仰ぎ見れば」
   作詞者:宮川勇牧師(1889-1945)