その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て
言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。『私の後に一
人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より
先におられたからです』と私が言ったのは、この方のこと
です。…」 ヨハネ 1章29-30節 (p.176)
序 論)主イエスが宣教を始められる前、洗礼者ヨハネは
ヨルダン川でイスラエルの民に悔い改めのバプテスマ(洗
礼)を授けていました。(28)(ここでの「ベタニア」は、エ
ルサレム郊外にあるベタニア(ヨハネ11章18節)とは別
の場所)
ヨハネとユダヤ人たちが遣わした使者たち(19)とのやり
取りやヨハネの言動を通して示されることは…
本 論)1、洗礼者ヨハネ自身についての証言
ここでの「ユダヤ人たち」(19)はユダヤ教の宗教指導
者のことです。彼らは、洗礼者ヨハネが何者なのかを確か
めようとしたのです。
「あなたはどなたですか」と尋ねられたヨハネは、自分
はキリストでないことを明言します。(19b~20)
次に彼らは、「…あなたはエリヤですか」と尋ねました。
(21) 当時、キリストが来られる前に、預言者エリヤが再
来すると期待されていました。
(マラキ書4章5節p1635)
(エリヤはBC800年代の北王国イスラエルの預言者)
しかし、ヨハネはこのことも否定します。そして「あの
預言者」であることも否定します。
「あの預言者」とは、「モーセのような第二の預言者」
のことです。(申命記18章15,18節p348)
さらに質問する使者たちに対して、ヨハネは、イザヤ書
40章3節(p1230)を引用して答えます。自分は「荒野
で叫ぶ者の声」に過ぎないと、謙遜な中にも威厳をもって
語りました。(23)
2、主イエスを指し示し、証しする
今度は、使者たちは、ヨハネがバプテスマを授けている
理由を尋ねます。(24-25)
彼は、自分のしていることは「私の後に来られる方」が
なさることの備えにすぎないと言いました。(27)
その方は自分にはるかに勝る方であり、私はキリスト
の先駆者に過ぎないとヨハネは自分の立場を明らかにしま
した。
その翌日、ヨハネは主イエスが自分のほうに来られるの
を見ました。そして、直接、主を指さして、「見よ、世の
罪を取り除く神の子羊」と証ししました。(30)
ヨハネの証しを聞いた人たちは、ただちに旧約聖書の
「過越の子羊」(出エジプト記12章3-7節 p118)を連想
したことでしょう。
ヨハネ自身はイザヤ書53章の「苦難のしもべ」と結び
つけて証ししたと考えられます。
(イザヤ53章4、7、12節p1259等)
また、以前、ヨハネが主イエスにバプテスマを授けた
とき、御霊が主の上に降ってとどまるのを見たことを証しし
ました。(32-33)(マタイ3章16-17節p4)
そして、主イエスが神の御子であることを証ししたので
す。(34)
ヨハネが語った「神の子羊」は、神様がご自身でささげ
られる子羊、という意味が込められています。
神様は、すべての人を罪から救うために御子イエス様を
地上に送ってくださいました。
主イエスは、子羊がほふられるように、すべての人が
受けるべき罪の罰を一身に受けて、十字架で苦しみを受け
られました。
結 論)モーセが、イスラエルの民をエジプトの支配から
解放するとき、過越の子羊の血が流され、民はエジプトを
脱出すること(出エジプト)ができました。
そのことが予表していたように、神の子羊であるイエス
様の血が流されることによって、すべての人のための罪か
らの救いの道が開かれたのです。
主イエスは十字架で死なれましたが、三日後に復活され
ました。そして、ペンテコステの日に、主を信じる人たち
に聖霊を注いでくださいました。
(使徒の働き2章1-4節p232)
その日以来、主イエスを信じる人のうちに聖霊が与えら
れるようになりました。
洗礼者ヨハネの予告が実現したのです。(33)
今も、神様は主イエスを信じ、従う者に聖霊を注いで
くださり、私たちの霊をきよめ、造り変え続けてくださっ
ています。
洗礼者ヨハネは、生涯、自分を誇ることなく謙遜に歩み
主イエスを指し示し、神の御子、救い主であることを証し
しました。私たちも日々の生活の中で主イエスを証しし続
けてまいりましょう。