その町で、私たちは兄弟たちを見つけ、勧められるまま
に彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちは
ローマにやって来た。 ローマからは、私たちのことを聞
いた兄弟たちが、アピイ・フォルムと トレス・タベルネ
まで、私たちを迎えに来てくれた。パウロは彼らに会っ
て、神に感謝し、勇気づけられた。
使徒28章14-15節 (p.294)
序 論)パウロたちが乗っていた船は浅瀬に乗り上げて
座礁しました。(27章41節) その後、276人全員が船から
脱出して、無事に陸に上がりました。(44節)
上陸してみると、そこはマルタと呼ばれる島だという
ことが分かりました。(1)この後に起こった出来事とそれら
を通して示されることは…
本 論)
1、マルタ島に三ヶ月、滞留する
海水と折からの雨で冷え切った水難者たちのため、島の
人々は、たき火で暖をとらせてくれました。(2)
パウロは進んで枯れ枝を燃やしましたが、這い出した
まむしが彼の手にかみつきました。(3)
それを見た島民はパウロを「人殺し」の罪人と見なしま
した。(4)
人々はすぐに神罰がくだるだろうと思って彼の様子を
伺っていましたが、彼の身には何も変わったことは起こり
ませんでした。(4-6)
人々の反応は一変し、「この人は神様だ」と言い出しま
した。(6b)
パウロたちは、島の行政長官プブリウスの領地に招かれ
もてなしを受けます。(7)
パウロは、長官の父親の病を、彼に手を置いて祈り、癒
しました。(8) 続いて他の病人も癒され、パウロと一行
に対する尊敬の念が高まりました。(9-10)
マルタ島の滞留は三ヶ月に及びました。
2、ついにローマに到着する
早春の頃、パウロと一行は、アレキサンドリア(エジプ
トの都市)の船で出港します。
(「ディオスクロイ」(11)は、ギリシヤ神話の神で当時、
航海の守護神とされていた。)
まずシチリア島のシラクサに寄港します。(12) 次い
でイタリア半島の南西端レギオンへ。そして、ナポリ湾の
北岸ポテオリに入港しました。(13)
この港町にはすでに「兄弟たち」の集いがありました。
パウロは彼らとともに七日間滞在します。(14)
同行した指揮官(百人隊長)が寛大だったからこのような
期間が与えられたのではと思われます。
パウロと一行のローマ到着の知らせは、ここポテオリか
らローマのキリスト者たちに伝えられました。
ここからは陸路となり、アッピア街道を北上します。
街道沿いのアピオ・ポロ(市場の意)、トレス・タベルネ
(三軒茶屋の意)まで、パウロたちを出迎えてくれた人たち
もいました。(15)
「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられ
た」のです。(15)
パウロはローマでは、監視の兵士(番兵)が付き、軟禁状
態に置かれましたが、一人で、家で生活することが許され
ました。(16)
その後、パウロは神様がご計画を実現された経緯を淡々
と語り(15-20)、訪れた人たちに「…神の国のことを証
しし、…イエスについて彼らを説得しようと、朝から晩ま
で説明を続けた」(23)のです。
彼は、二年間、ローマに住む異邦人に福音を語り続けま
した。(30-31)
結 論)パウロは何度も命の危機に直面しましたが、主の
御守りの中、ついにローマに到着しました。
パウロが、ローマのキリスト者たち宛への手紙(ローマ
人への手紙)を書いてから約3年が経っていました。
(ローマ人への手紙は、パウロの第三回伝道旅行の際に
三ヶ月滞在したコリントの町で書かれたと考えられている。 (使徒の働き20章2-3節p276)
(ローマ人への手紙15章22~23節p323
16章等参照)
ローマ人への手紙やローマのキリスト者たちがパウロ
たちを出迎えに来てくれた様子からも、パウロと彼らの
間の互いの祈り合い、深い心のつながりを示されます。
私たちも主にある兄姉、信仰の友、祈りの友が神様から
与えられていることに感謝を覚えます。
互いに祈り合い、ともに主と教会に仕え、みことばを
宣べ伝えてまいりましょう。