使徒の働き28章1~15節

その町で、私たちは兄弟たちを見つけ、勧められるまま
に彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちは
ローマにやって来た。  ローマからは、私たちのことを聞
いた兄弟たちが、アピイ・フォルムと  トレス・タベルネ
まで、私たちを迎えに来てくれた。パウロは彼らに会っ
て、神に感謝し、勇気づけられた。
                      使徒28章14-15節 (p.294)

 序 論)パウロたちが乗っていた船は浅瀬に乗り上げて
座礁しました。(27章41節) その後、276人全員が船から
脱出して、無事に陸に上がりました。(44節)
 上陸してみると、そこはマルタと呼ばれる島だという
ことが分かりました。(1)この後に起こった出来事とそれら
を通して示されることは…

本 論)
1、マルタ島に三ヶ月、滞留する
 海水と折からの雨で冷え切った水難者たちのため、島の
人々は、たき火で暖をとらせてくれました。(2)
 パウロは進んで枯れ枝を燃やしましたが、這い出した
まむしが彼の手にかみつきました。(3)
 それを見た島民はパウロを「人殺し」の罪人と見なしま
した。(4)
 人々はすぐに神罰がくだるだろうと思って彼の様子を
伺っていましたが、彼の身には何も変わったことは起こり
ませんでした。(4-6)
 人々の反応は一変し、「この人は神様だ」と言い出しま
した。(6b)
 パウロたちは、島の行政長官プブリウスの領地に招かれ
もてなしを受けます。(7)
 パウロは、長官の父親の病を、彼に手を置いて祈り、癒
しました。(8) 続いて他の病人も癒され、パウロと一行
に対する尊敬の念が高まりました。(9-10)
 マルタ島の滞留は三ヶ月に及びました。

2、ついにローマに到着する
 早春の頃、パウロと一行は、アレキサンドリア(エジプ
トの都市)の船で出港します。
 (「ディオスクロイ」(11)は、ギリシヤ神話の神で当時、
航海の守護神とされていた。)
 まずシチリア島のシラクサに寄港します。(12)  次い
でイタリア半島の南西端レギオンへ。そして、ナポリ湾の
北岸ポテオリに入港しました。(13)
 この港町にはすでに「兄弟たち」の集いがありました。
パウロは彼らとともに七日間滞在します。(14)
 同行した指揮官(百人隊長)が寛大だったからこのような
期間が与えられたのではと思われます。
 パウロと一行のローマ到着の知らせは、ここポテオリか
らローマのキリスト者たちに伝えられました。
 ここからは陸路となり、アッピア街道を北上します。
街道沿いのアピオ・ポロ(市場の意)、トレス・タベルネ
(三軒茶屋の意)まで、パウロたちを出迎えてくれた人たち
もいました。(15)
 「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられ
た」のです。(15)
 パウロはローマでは、監視の兵士(番兵)が付き、軟禁状
態に置かれましたが、一人で、家で生活することが許され
ました。(16)
 その後、パウロは神様がご計画を実現された経緯を淡々
と語り(15-20)、訪れた人たちに「…神の国のことを証
しし、…イエスについて彼らを説得しようと、朝から晩ま
で説明を続けた」(23)のです。
 彼は、二年間、ローマに住む異邦人に福音を語り続けま
した。(30-31)

結 論)パウロは何度も命の危機に直面しましたが、主の
御守りの中、ついにローマに到着しました。
 パウロが、ローマのキリスト者たち宛への手紙(ローマ
人への手紙)を書いてから約3年が経っていました。
  (ローマ人への手紙は、パウロの第三回伝道旅行の際に
 三ヶ月滞在したコリントの町で書かれたと考えられている。                  (使徒の働き20章2-3節p276)
               (ローマ人への手紙15章22~23節p323
                16章等参照)
 ローマ人への手紙やローマのキリスト者たちがパウロ
たちを出迎えに来てくれた様子からも、パウロと彼らの
間の互いの祈り合い、深い心のつながりを示されます。
 私たちも主にある兄姉、信仰の友、祈りの友が神様から
与えられていることに感謝を覚えます。
 互いに祈り合い、ともに主と教会に仕え、みことばを

宣べ伝えてまいりましょう。