すると、パウロは言った。「私はカエサルの法廷に立って
いるのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。…しか
し、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれ
ば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカ
エサルに上訴します。」
使徒25章10-11節(p.288)
序 論)総督ペリクスの後継者、フェストゥスは着任するとす
ぐカイサリアからエルサレムに向かいました。(1)
ユダヤの祭司長や指導者たちは、パウロをエルサレムに
連れ戻して欲しいとフェストゥスに懇願しました。しかし、
彼はそれを拒み、カイサリアで訴訟手続きをとるようにユ
ダヤ人たちに促します。妥当だと答えます。(2-5)
その後、カイサリアで開かれた裁判でパウロが語ったこ
とは…
本 論)1、カエサルに上訴する
出廷したパウロをユダヤ人たちは取り囲み、罪状を申し
立てます。しかし、それを立証することはできませんで
した。(7)
これに対し、自分はユダヤ人の律法、宮(神殿)、カエサ
ル(ローマ皇帝)のいずれに対しても罪を犯していないとパ
ウロは弁明します。(8)
フェストゥスは、ユダヤ人の有力者たちを敵にすること
を好まず、エルサレムでの裁判をパウロに打診します。
しかし、パウロはエルサレムでは公平な裁判を受けること
はできないことをよく分かっていました。(9-10)
そして、カエサルに上訴することを申し出ました。
(11) ここでの「上訴」は、裁判の場所を変更すること
です。
パウロは、ローマ市民として正義を貫くことにより、帝
国ローマに行く機会を手に入れることが、今や神の御心だ
と確信したのです。
フェストゥスはパウロの要求について、陪席の者たち
と協議し、パウロの上訴を正式に認めました。(12)
遂に、パウロのローマ行きが決まったのです。
2、生きておられるキリストを証しする
数日後、ユダヤの王アグリッパと妹のベルニケがフェストゥス
の新総督就任を祝うため表敬訪問します。(13)
(ヘロデ・アグリッパ2世 AD27-100年頃)
ローマ当局の好意によって領土を得たアグリッパ王に
とって、総督との関係を良好に保つことは最優先の政治課題
でした。
フェストゥスは、パウロがローマ法に照らして犯罪者で
はないこと、そして裁判の争点は「彼ら自身の宗教に関す
ること」であり、「死んでしまったイエスという者」が、
「…生きているとパウロは主張している」ことだとアグリ
ッパ王に説明しました。(14-19)
さらにパウロを「カエサルのもと」(ローマの法廷)に送
るときまで保護することになった経緯を伝えます。(20-21)
アグリッパ王は、パウロに関心を示し、話を聞くことに
します。翌日、アグリッパ王とベルニケはパウロに会うこ
とになりました。(22)
総督フェストゥスは、パウロをアグリッパ王の前に立た
せ、取り調べを行おうとしました。
それによってローマ皇帝に送る文書に記す材料を得よう
としたのです。(26-27)
こうすれば、ユダヤ人たちも納得するだろうとフェスト
ゥスは考えたようです。
このようにパウロのローマ宣教の願いは実現に向かって
大きく前進しました。
結 論)パウロがカイサルに上訴を申し出たのは、ローマ
でカエサルや人々に福音を伝えるためでした。
主イエスがアナニアに告げられたこと(使徒9章15節p.251)と
主イエスの約束(使徒23章11節p.283)が、このような不思議
な形で実現していきました。
このように神様はさまざまな状況さえも用いられ、ご計画
を進めて行かれます。
そして、パウロが証し続けたのは、主イエスが復活され、
今も生きておられることでした。(19)
キリストの復活は事実であるがゆえに私たちや世界を変
える力をもっており、世の権力といえども神の力である福
音を阻むことはできないのです。
復活の主イエスが私たちのうちに生きておられる恵みを
覚え、主を証してまいりましょう。
(参考)
パウロがカイサリアにこのときはAD59-60年頃だと
考えられている。
当時のカエサル(ローマ皇帝)は、皇帝ネロ(在位AD54-68)。
ネロによるキリスト教迫害はAD64年から起こった。