ただ、私は閣下の前で、次のことは認めます。私は、彼ら
が分派と呼んでいるこの道にしたがって、私たちの先祖の
神に仕えています。私は、律法にかなうことと、預言者た
ちの書に書かれていることを、すべて信じています。また
私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人
たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています。
そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められ
ることのない良心を保つように、最善を尽くしています。
使徒の働き24章14-16節(p.286)
序 論)エルサレムから約100km離れたカイザリアにパ
ウロは移送されました。(使徒23章23-33節)
パウロを訴えるために「大祭司アナニア」(1)の一行が
エルサレムから下ってきました。
弁護士テルティロの訴えの言葉とパウロの弁明を通して
示されることは…
本 論)
1、パウロに対する訴え
当時の「弁護士」(1)は、雄弁術を身につけた法律家でし
た。「テルティロ」という名前から彼はヘレニストのユダ
ヤ人(ギリシア語を話すユダヤ人)と思われます。
彼は総督フェリクスの好意を得ようとお世辞を言い(2-
4)、パウロを「平和を乱す者」として訴えます。
彼はパウロを「疫病のような人間」(「害毒を流す者、危
険人物」という意味で比喩的に用いられている)(5)と言い
ます。
次に彼を「ナザレ人の一派の首領者」(5)と言い、ユダヤ
教の正統派(ローマ帝国の公認宗教とされていた)に反対す
る異端であると印象づけようとしました。
そして、宮(神殿)を汚そうとしたと訴えました。(6)この
ようにパウロを政治的にも宗教的にも危険な人物であると
非難しました。
ユダヤ人たちもこの訴えに同調しました。(8-9)
2、パウロの反論と弁明
この訴えに対して、パウロは反論し、弁明します。(10)
エルサレムに来たのは、12日前で、ただ神を礼拝する
ためであり、宮の内、会堂内、市内において「だれかと論
争したり、群衆を扇動したりする」(12)ことはなかったと
言います。(11-13)
そして、ユダヤ人が信じている同じ神と「律法と預言書」
(旧約聖書)を信じていること、「この道」(主イエスを神の
御子、救い主と信じ従う生き方)に従って歩んでいることを
証ししました。(14)
さらに「復活の希望」を神に対して抱いていると告げま
す。(15-16)
そして、神殿を冒涜したとの非難は全くの言い掛かりで
あると言いました。(17-18)
(使徒21章27-29 p.280 参照)
宮での事件については「アジアから来た数人のユダヤ人」
たちがここに来て、総督に訴えるべきであると論じたので
す。(19)
続いて、すべてのことについて証拠もなく証人もいない
ことを強調しました。(20)
総督フェリクスはパウロの弁明を聞きましたが、すぐに
判決をくだしませんでした。彼は千人隊長を証人として迎
えてから、事件の判決をくだすことにします。
裁判は延期されました。(22)
フェリクスはパウロが無罪だと分かっていながら、大祭
司やユダヤ人たちの顔色を窺ってすぐに判決を先送りした
のです。
結 論)エルサレムでユダヤ人たちに語りかけたときと同
じようにパウロは、「死者の復活」を語りました。 (15、21) (使徒23章6節p283参照)
パウロは、少しの時間の中でも、福音の中心である、
イエス・キリストの十字架と復活を語ろうとしたのです。
(ヨハネの福音書3章16節p180)
神様が十字架にかかり死なれた主イエスを復活させられ
ました。やがて私たちのことをも復活させてくださる。そ
のことを信じ、希望を抱いてパウロは地上での福音宣教の
使命を果たそうと努めました。
パウロは、「…良心を保つように、最善を尽くしていま
す。」(16)と語りました。ここでの「良心」の原語や英語
には、「共に知る」という意味が含まれています。パウロ
はすべてをご存じの神様の御前で忠実な歩みをしようと努
めたのです。主イエスはいつもパウロと共におられ、その
歩みを支え、導かれました。(23章11節)
私たちもときには誤解されたり、非難や批判を受けるよ
うな経験をすることがあるかもしれません。そのような場
合も復活の希望を抱き、神様の御前で主イエスに従う、忠
実な歩みを続けてまいりましょう。