使徒の働き23章1~11節

の夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。
あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、
ローマでも証しをしなければならない」と言われた。                       使徒23章11節(p.283) 

序 論)ローマの千人隊長が騒ぎの理由を知ろうとパウロ
をむち打たせようとしたとき、パウロは自分がローマ市民
権を持っていることを明らかにします。
                  (使徒22章22-29節)
 翌日、千人隊長は正式な手続きをし、ユダヤ人の宗教議
会(最高法院)の招集を命じました。(ローマ当局によってそ
の権威が与えられていた。)パウロが訴えられている理由を
明確にするためでした。(22章30節)
 パウロの弁明とそのことによって起こったことは…

本 論)

1、議会の前で正式な弁明をする
 パウロは最高法院(サンヘドリン)での裁判に臨み、被告
人として発言しました。(1)
 彼は堂々と語ります。(1)
 議会の最高権威者、大祭司アナニアは、パウロの口を打
つように命じます。(2)
    パウロは大祭司の叱責も恐れず、かえってその権威が偽
りと不正で固められていることを批判しました。(3)
  「白く塗った壁…」(3)は、上辺だけきれいにしている崩れ
そうな壁のことで、ここでは偽善者を意味しています。
 (当時、アナニアは不正なことをしていたと言われている。
 後年、 AD66年にユダヤ人によって暗殺されたという
記録が残されている。)
 人々はパウロの発言と態度に驚き、彼をとがめます。(4)
 パウロは、聖書の中の律法の言葉を引用して非礼を詫び
ます。(5)(出エジプト記22章28節p140参照)
 議会は「サドカイ人」と「パリサイ人」で構成されてい
ました。(6)
 パウロは、自分はパリサイ人であると自己紹介し、「私
は死者の復活の望みのことで、さばきを受けているので
す。」と語りました。(6)   

2、サドカイ人とパリサイ人との間の論争
 パウロが「死者の復活」について語ったことをきっかけ
に、議場のパリサイ人とサドカイ人の間に論争が起こりま
した。そして、議会は二つに割れてしまいます。(7)
 サドカイ人は復活を否定し、パリサイ人はそれを肯定し
ていたからです。(8)
 復活された主イエスがパウロに御声をかけられたという
証しに対しても、パリサイ派の人たちの中には、ある程度、
理解を示す人たちも現れました。(9)
                   (使徒22章6-10節、18-21節参照)
 さらに激しい論争が両派の間に起こりました。議場の大
騒ぎを見聞きした千人隊長は、パウロの身に危険が迫った
ことを察知しました。それで、兵士たちに命じて彼を議場
から無理やりに引き出したのです。(10)
 千人隊長は、パウロをユダヤ人たちの最高法院のさばき
に委ねました。もし、宗教的に有罪ならば、宗教指導者た
ちに引き渡すつもりでした。もし、無罪ならば釈放しよう
と思っていました。
 しかし、二つの派の論争による騒ぎが起こったため、
議会による判決は回避されました。
 後に、裁定はローマの「カイザルの法廷」(使徒25章
11節)に持ち越されることになります。
 このときのパウロには戸惑いや恐れがあったことでしょ
う。その夜、主イエスはパウロに語り掛けられました。(11)
  「あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたよう
に…」の言葉は、彼のエルサレムでの宣教の働きを主がお
認めになったことが示されています。
 そして、ローマに行き、主を証しするように励まされま
した。(11)
    主の言葉によってパウロは自分の使命を再確認し、苦難
の中で、大きな励ましを受けたのです。

結 論)パウロは、様々な試練や苦難の中にあっても、
キリストを証し続けました。それはただ「私の身によって
キリストがあがめられるため」でした。
        (ピリピ人への手紙1章19-20節p395)
 閉ざされたように思われたパウロのローマへの道が、こ
の後、予想外の形で開かれていきました。それは主イエス
ご自身がパウロの行く道を守られ、導かれたからです。
 主イエスを信じ、従う私たちに対しても、主は大きなご
計画を持っておられます。私たちは様々な弱さや欠けを持
っています。しかし、主はそのような私たちを用いて、ご
意志を実現されます。
 私たちの歩みが周りの人たちへの良き証しとなるように
主によって強められ、主の御用のために用いていただきま
しょう。