これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏し
て言った。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人
間ですから。」…イエスはシモンに言われた。「恐れるこ
とはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるので
す。」彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに
従った。 ルカ5章8、10b、11節(p.118)
序 論)ある日、主イエスはゲネサレ湖(ガリラヤ湖)の岸
辺に立っておられました。(1) そこに二艘の舟がありまし
た。漁を終えた漁師たちは、舟から降りて網を洗っていま
した。(2)その後、主イエスがシモン(ペテロ)に言われ、な
さったこと、そして、それらから示されることは…
本 論)
1、主のことばに従う
主イエスはペテロの舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すよう
に言われました。(3)
そして、主イエスは群衆に向かって語られました。(3)
主イエスに向かって押し寄せてきた群衆が多く(1)、適度
に距離をとる必要がありました。また、彼らがいやしを求
める以上にご自身の語られることばに耳を傾けることを
主イエスは願われたのかもしれません。
その後、主イエスは、ペテロにもう一度漁をするように
命じられます。(4)
一晩中働いても何も取れず、後片付けをしていたペテロ
でしたが、主イエスのことばに従いました。(5)
「夜通し働きましたが、何一つ取れませんでした。」(5)
には、魚の取れやすい夜間でも不漁だったのですから、日
の昇った今では、なおさら取れるはずがない、という意味
が込められていました。
「でも、おことばですので…」(5)とペテロは主イエスの
ことばに従いました。
主のことばに信頼して従うことの大切さを示されます。
2、主イエスの招き
主のことばに従ったシモンが体験したのは大漁の奇跡で
した。(6-7)
ペテロの考える人間的限界(5a)をはるかに超える
主イエスのなされた圧倒的みわざでした。
主イエスの御力と権威に接し、ペテロは主の「足もとに
ひれ伏し、「主よ、…」(8)と告白しました。
最初は、半信半疑で従ったことに対する後ろめたさもあ
ったかもしれませんが、それだけではありませんでした。
主イエスの神の御子としての権威に圧倒されたペテロは自
分の罪深さを認めるしかなかったのです。
旧約の預言者イザヤも神様の臨在に触れたとき、絶望の
叫びを上げざるを得ませんでした。
(イザヤ書6章5節p.1176)
イザヤの場合と同様、このときが、ペテロにとって召命
のときとなりました。
ペテロの仲間たちも主イエスのなされたことに驚きまし
た。(9-10a)
主イエスの前に出ることへの畏れを感じていたペテロに
対して、主は「恐れることはない。…」と御声をかけられ
ました。(10b,c)
ペテロたちにとって恐れずに主イエスを信頼し、主に従う
道が開けていきました。
「あなたは人間を捕るようになるのです」(10)は、
人々にみことばを伝え、主イエスを証し、信じるように導
く者、伝道者となるという意味です。
ペテロがまず主イエスに「捕らえられ」、人を捕らえる
者とされたのです。
(「捕るようになる」の原文を直訳すると「生きたまま捕ら
える者となる」)
ペテロたちは、すべてを捨てて主に従いました。(11)
(ここでの「捨てる」は「明け渡す」、「委ねる」という
意味)
結 論)自分の罪深さをペテロが示されたように、自分が
罪ある者であることを示されたとき、私たちは救い主を求
める者とされます。
そして、主イエスを信じ従う者は、罪赦され、新しい人
生の歩みへと導かれていきます。
主イエスの十字架と復活によって、罪から救われた者が
罪の中に迷っている人々を救い主イエス様へと導く働き人
とされるのです。
主イエスによって、罪赦され、救われたことを感謝し、
主の弟子として、神様から各自に与えられた働きをなさせ
ていただきましょう。