マタイの福音書28章11節~20節

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしに
は天においても地においても、すべての権威が与えられて
います。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々
を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテ
スマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべての
ことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わり
まで、いつもあなたがたとともにいます。」
               マタイ28章19-20節(p.64) 

序 論)御使いの姿を見て、墓から逃げ出したローマの
兵士(番兵)たちの数名は、起こった出来事をユダヤ人の祭
司長に報告しました。(11) 祭司長たちは番兵を買収し、
弟子たちが主イエスの遺体を盗んで行ったという噂(うわ
さ)を流させました。(12-15)
 復活された主イエスは、ガリラヤで弟子たちに出会われ、
山に行くように指示されます。主が彼らに命じられたことは…

本 論)
1、天と地においてすべての権威を持たれるお方
 十一人の弟子たちは主イエスが指示された山に登りまし
た。(16)
 復活された主イエスの御姿を見て、彼らは主を拝しま
した。しかし、弟子たちの中には疑う者もいました。(17)
    あまりに不思議な復活の主イエスにお出会いするという
体験のため、まだこのときは半信半疑の弟子たちもいたの
かもしれません。
 福音書を記したマタイは礼拝しつつも疑ってしまう人間
の弱さを指摘しています。
 父なる神様のみこころに従われ、十字架への道を決然と
進まれ、死なれた主イエスを神様は復活させられました。
 そして、天地の一切の権威を主イエスに与えられ、その
御手に託されました。(18)
 主イエスの権威の及ばないところはどこにもありません。
私たちの宣教も主の権威のもとでなされていきます。

2、宣教命令と臨在の約束
 主イエスは神の御子としての権威により、「大宣教命令」
を出されます。そのご命令は「行って、あらゆる国の人々
を弟子とする」ことでした。(19)
 イスラエルの民が主イエスを受け入れなかったために、
主イエスの復活の後、福音が異邦人に伝えられる時代にな
りました。主の復活と後の聖霊降臨によって新しい時代が
開かれたのです。
 そして、主イエスは洗礼者ヨハネのバプテスマではなく、
「父、子、聖霊の名」による洗礼を授けることを命じら
れます。(19) この「名」(「御名」(口語訳))は、原語では単
数形が用いられています。このことは主イエスを信じて受
ける洗礼は、三位一体の神様の交わりの中に入れられるこ
とを示しています。
 さらに「わたしがあなたがたに命じておいた、すべての
ことを守るように教えなさい。」と言われます。(20)
この「教える」は、「教え続ける」という意味の言葉が用
いられています。
 「命じておいた、すべてのこと」は、山上の説教(マタイ
の福音書5章~7章)を初めとし、福音書に記されている
主イエスの教えのすべてであると受け止めることができます。
 主イエスにならい、神様に喜ばれるきよい生活を続けて
くためにも、聖書のみことばを教え、学び、実践を続け
ていくことが私たちには必要なのです。
 最後に主イエスは、「世の終わりまで、いつも」弟子た
ちとともにおられると、ご臨在の約束をされました。(20)

結 論)マタイの福音書の冒頭に記されているように、み使
いは、ヨセフに主イエスによって「インマヌエル(神が私た
ちとともにおられる)」が実現することを伝えます。
(マタイ1章23節p2)
 そして、主イエスは主の御名によって集まっている中に
共におられると言われます。
 「二人か三人がわたしの名において集まっているところ
には、わたしもその中にいるのです。」
                (マタイ18章20節p37)
 このように「インマヌエル」は、マタイの福音書の大き
な主題の一つです。
 死よりよみがえり、今も生きておられる主イエスは、聖
霊によっていつも私たちと共におられます。
そして、神様は主イエスを伝える宣教のために教会(私たち)
を用いてくださいます。
 主イエスとの交わりを深めつつ、三位一体の神様の救い
と恵みを証しし続けてまいりましょう。