序 論)主イエスは十字架につけられ、その御姿を多くの
人が見ていました。通りすがりの人たちは、「神殿を壊し
て三日で建てる人よ、…。そして十字架から降りて来い。」
(32)と主イエス様をののしり嘲笑いました。イエス様の十
字架の死は…
本 論)
1、罪人としての死
昼の十二時になると、全地は暗くなり、主イエスの死の
時まで続きました。それは罪に支配されている世界の闇が、
最も強くなったときでした。この暗闇の中で、激しい苦し
みの末に、主イエスは大声で叫ばれました。主が十字架で
語られたお言葉が七つあります。その多くはルカ福音書と
ヨハネ福書に記されています。マルコ福音書とマタイ福音
書が記しているのはこのみ言葉だけです。
主イエスが叫ばれた「エリ、エリ」という言葉を聞いた
人々は、旧約聖書に出てくる預言者エリヤを呼んでいるの
だと思いました。(47)
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、
どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」(46)の言
葉は旧約聖書、詩篇22篇1節(p952)の言葉です。
この詩篇の中で詩人は神が遠く離れ、救おうとされず、
私の声を聞いて下さらない、神に見捨てられてしまった、
と告げています。
主イエスは、この詩篇の言葉を自分の置かれた状態に重
ね合わされて叫ばれました。
宗教改革者のマルティン・ルターは、主イエスの十字架
の死は、罪人の中の罪人としての死であったと言います。
さらに、「本当の死を死なれたのは、主イエスのみ」とも
言っています。主イエスは、神様から本当に見捨てられ、
神様との関係が完全に切り離されてしまうという苦しみと
絶望を味わい尽くして下さいました。
そのような絶望の中での死に臨んでも、主イエスは「わ
が神、わが神、…」と神様に呼びかけられました。主は
十字架の苦しみと神に見捨てられた中でも、父なる神に祈
り続けておられたのです。このように、主イエスの十字架
の死は人類の歴史の中でただ一回の特別な出来事でした。
主の十字架の死によって、罪の暗闇に閉ざされていた世
界に新しい扉が開かれたのです。
2、私たちを生かすための死
主イエスはついに息を引き取られました(50)。そして
「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。」(51)のです。
エルサレム神殿において聖所と至聖所を隔てていた幕が
裂けました。当時のユダヤでは至聖所こそ、神様がご自身
を顕わされる場であると考えられていました。そこには年
に一度、大祭司のみが、罪の赦しのための犠牲の動物の血
を携えることによってのみ入ることができました。他の人
がそこに入ることを阻んでいたのがこの垂れ幕です。
それが、主イエスの死と同時に真っ二つに裂けたのです。
それは、神と人間の間を隔てていた人間の罪が、主の十字
架の死によって赦され、神様との交わりが回復したことを
示しています。私たちが神様の前に出て礼拝をし、神様と
の交わりに生きることができる新しい扉が開かれたのです。
神の独り子である主イエスが、本来は神に見捨てられる
べき罪人である私たちの身代わりとして、神から見捨てら
れて十字架の上で死んで下さいました。そのような闇の中
でも「わが神、わが神、…」と叫んで下さったがゆえに、
私たちが絶望や闇の中に閉ざされているように思える状況
の中にあったとしても、私たちは、神様に向かって「私の
神様、…」、「私の神よ、…」と叫んで、絶望や苦しみを
訴えることができるようにされました。
主イエスご自身が私たちの身代わりとなって、十字架の
上で罪の罰を一身に受けて下さり、神様に見捨てられたが
ゆえに、私たちは、もう神のさばきを受けなくてよいし、
どんな状況に置かれたとしても、神様に見捨てられること
はないのです。
主イエスが、このようにして息を引き取られたのを見た
ローマの百人隊長たちは「この方は本当に神の子であった」。
と言いました(54)。彼らは、主の死刑を執行する責任者と
して、残酷な仕方で処刑される主イエスの姿を真正面か
ら見ていました。
苦しみの中で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお
見捨てになったのですか」と叫ばれた、そこに主イエスと
父なる神様との確かな関係を感じ取ったのです。それが
彼の言葉の意味です。そして、そこにはこの神の御子の死
によって世界は変わる、何か新しいことが始まる、という
期待が込められていました。
結論)詩篇の言葉で祈り、叫ばれた主イエスは、十字架の
上で神に向かって祈り続けられました。私たちのために十
字架の上で死なれ、陰府(よみ)にまで降って下さった主を
父なる神様は三日後に復活させられました。
「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私
たちが義と認められるためによみがえられました。」
(ローマ人への手紙4章25節p304)
私たちの罪の贖いのために主イエスは十字架にかかり、私
たちを永遠の命に生かすために、よみがえって下さいました。
私ための救いのみわざは約2000年前に成し遂げられたのです。
私たちは、この主イエスを、「神の御子、私の救い主」と
信じ、告白しましょう。
私のために罪と闇の深淵、底の底にまで降って下さった
お方。そして復活、昇天の後、今、聖霊によってどんなと
きも私たちの側にいて父なる神様に祈って下さる、
主イエスと共に生きてまいりましょう。