そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは
みな今夜わたしにつまずきます『わたしは羊飼いを打つ。
すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。
しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先に
ガリラヤへ行きます。」
マタイ26章31-32節(p.57)
序 論)マタイ26章の後半は、受難週の木曜日、
主イエスが十字架にかかられる前日の出来事を告げています。
過越の食事(最後の晩餐)の中で、そしてその後の主と弟子
たちの間でのやり取りを通して示されることは…
本 論)
1、新しい契約を結ばれる
ユダの裏切りを告げられた(21-25節)後、主イエスは
食事の途中で祝福の祈りをされ、パンを裂き弟子たちに渡
されました。(26)
次に、杯をまわしてぶどう酒を飲むように命じられます。 (27)
かつて神様がイスラエルの民と契約を結ばれたとき、
モ―セは、雄牛の血を民に注ぎかけました。
(出エジプト記24章8節p.143)
その後、旧約聖書に記されているように、イスラエルの
民は契約を破り、神様に背きました。しかし、神様は預言
者エレミヤを通して「新しい契約」を結ぶ日が来ることを
約束されました。(エレミヤ書31章31節p1351)
その契約が、今、主イエスが流される血によって結ばれ
ようとしていました。(28)
この契約の血によって、すべての人の罪が赦され、きよ
められ、新しい神の民が聖別されることを主イエスは予告
されたのです。
この食事はこの地上で主イエスが弟子たちと共になされ
る最後の過越しの食事(最後の晩餐)でした。やがて神の国
が完成するとき、その食事に示される喜びの交わりのとき
が再び来ることが告げられます。(29)
その後、主イエスは弟子たちと共に、賛美の歌(「エジプ
トのハレル」と呼ばれる詩篇113-118篇)を歌い、オリーブ
山に向かわれました。(30)
2、主イエスは見つめておられ、祈っておられる
主イエスはゼカリヤ書13章7節(p.1626)の預言を引
用され、羊飼いであるご自分が打たれ、羊の群れである弟
子たちが散り散りになることを予告されました。(31)
そして、十字架での死の後、復活され、彼らよりも先に
ガリラヤに行かれることも約束されました。(32)
このとき、主イエスが受けようとしておられる苦難は神
様のご計画の中で成されようとしていることでした。
しかし、このときの弟子たちは主イエスが言われること、
成そうとしておられることがまだ理解できませんでした。
自分たちが、つまずいてしまうという主の予告を聞いて
も、弟子のペテロは、少なくとも自分だけは決してつまず
きません、と反論しました。(33)
再度、主はペテロのつまずきを予告されます。(34)
しかし、他の弟子たちもペテロと競うかのように、異口
同音に自分たちは決して裏切りません、と言いました。(35)
この後、主イエスがゲツセマネの園で祈られた後、主は
宗教指導者たちによって逮捕されます。(47-57節)
そのとき弟子たちは、主を見捨てて逃げてしまいます。(56)
遠くから主イエスの後についてきたペテロは、主の予告さ
れた通り、「そんな人は知らない」と主を否んでしまいま
した。(69-75)
結 論)主イエスは、散らされようとしている羊たち、弟子
たち一人ひとりのためにとりなし祈ってくださいました。
(ルカの福音書22章31-32節p.166)
そして、裏切ったペテロに対しても、愛のまなざしを向け
られました。(ルカの福音書22章61節p168)
弟子たちに約束なさった通り、主イエスは十字架で死なれ
た後、復活され、ペテロや弟子たちを訪ねていかれました。
ペテロたちは復活の主のご愛に触れ、立ち直ることができ、
それぞれの使命を果たすために新たに歩み始めたのです。
私たちも、ペテロたちと同じように、弱さを持ち、様々
な失敗や過ちを犯す者です。しかし、そのような私たちの
ためにも主イエスは十字架にかかり、復活してくださった
のです。
今も主イエスは、父なる神様に私たち一人ひとりのため
とりなしの祈りをされ、愛のまなざしを注ぎ続け、それぞれ
の歩みを導いておられます。
主イエスの祈りと愛の御手に支えられ、聖書を通して主の
語りかけを聞き、主から愛といのちの注ぎをいただきつつ、
歩み続けましょう。