すると、パウロは答えた。「あなたがたは、泣いたり私の心をくじい
たりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のため
なら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」彼が聞き入れようとしないので、私たちは「主のみこころがなります
ように」と言って、口をつぐんだ。
使徒21章13-14節(p.279)
序 論)パウロ一行はエルサレムを目指して、ミレトから船出し、パタラに着きます。そこでフェニキア行きの船に乗り込み、左手にキプロス島を見ながら地中海を横断しました。そして港町ツロに到着しました。(1-4) その後のパウロたちの旅路と彼の言動を通して示されることは…
本 論)
1、聖霊の導きにしたがって
パウロたちはツロで一週間、滞在しました。ここで主の弟子たち(キリスト者の群れ)を見つけ、彼らとの交わりの機会が与えられました。(4)
彼らは「御霊に示されて」、パウロの苦難を予知し、迫害が待ち受けているエサレムへ行くことに何度も反対しました。(4)
しかし、パウロの決意を変えることはできませんでした。
ツロの信徒たちは家族と共に一行を見送ります。パウロたちと共に彼らは「海岸でひざまずいて祈り」ました。(5-6)
パウロたち一行とツロの信徒たちは、神の御前に出て、互いに祈ったのです。そのことによって、パウロになされた聖霊の導きを共に確信したことでしょう。
その後、プトレマイスを経由し、一行はカイサリアの港に到着し、船旅は終わりました。
カイサリアでは、信徒伝道者のピリポの家に滞在しました。ピリポはエルサレム教会に立てられた「あの七人の一人」(8)でした。(使徒6章5節p.243 )
ピリポは各地で伝道をした後、カイサリアの集会を指導していました。
(使徒8章40節p.250)
2、主のみこころに従う
ピリポの四人の娘たちも独身のまま預言活動をしていました。(9)
パウロたち一行が滞在中、アガボという名の預言者が来て、象徴的な所作でパウロの受難を予告します。(11-12)
アガボはかつて、飢饉が来ることを預言し、それは現実に起こりました。(使徒11章28節p.257)
これを聞いて著者ルカを含む「私たちも」、「土地の人たちも」(カイサリアの信徒たち)、こぞってパウロのエルサレム行きに反対しました。(12)
しかし、パウロは自分の決意をくじこうとする人たちをたしなめ、「…、死ぬことも覚悟しています。」(13)と自分の胸中を語りました。
「主イエスの名のためなら…」(13)とパウロは、このときも主の十字架を仰ぎ、主に従う決意は変わりませんでした。
パウロの言葉を聞き、ルカたちやカイサリアの信徒たちも説得を断念し、「主のみこころがなりますように」と、主におゆだねしました。(14)
彼らはこの後もパウロのために祈り続けたことでしょう。
数日後、パウロ一行はエルサレムへと出発します。(15)
結 論)主イエスは、十字架にかかられる前、ゲツセマネの園で祈られました。
「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みここころがなりますように。」 (ルカの福音書22章41節p.167)
そして、祈りをささげられた後、立ち上がられた主イエスは、父なる神様のみこころに従って十字架に向かわれ、救いのみわざを成し遂げられました。
主イエスに従って歩み続けたパウロも、自分の生死を主に委ねて歩み続けました。
「神のみこころなら、またあなたがたのところに戻って来ます。」 (使徒18章21節p.273)
「私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」 (ローマ人への手紙14章8節p320)
神様は、私たち一人ひとりに対しても、みこころ、大きなご計画をもって私たちの歩みを導いておられます。
私たちも父なる神様に祈り、聖霊の導きとみことばを求め、それぞれに示された神を愛し、隣人を愛する愛のわざと務めを日々、なしてまいりましょう。