今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。
みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされた
すべての人々とともに、あな たがたに御国を受け継がせる
ことができるのです。 使徒20章32節(p.278)
序 論)ミレトスの港に着いたパウロは、エペソ教会の長老たちに
使いを送り、彼らを呼び寄せました。(17)
そこでパウロは彼らに話します。(18~35) この「告別説教」の
後半のメッセージを通して示されることは…
本 論)
1、みことばによる霊的成熟
「凶暴な狼」(29)は、福音とは異なる偽りの教えを語る偽教師の
ことです。彼らは、群れに悪い影響を与え、自分たちの方に引き
込もうとします。(30) そのような人たちが現れることをパウロは
警告しました。
だから、パウロは、自分が涙ながらに伝えてきた訓戒を守るよう、
「…目を覚ましていなさい」と語りました。(31)
パウロは教会を「神とその恵みのみことば」に委ねました。(32)
パウロは、群れを後任の教師や伝道者に委ねるとはいわず、
「神とその恵みのみことばにゆだねる」と言いました。
人や世のものは移り変わっていきますが、神様と神のことばは
変わりません。
「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去る
ことがありません。」 (マルコの福音書13章31節p.97)
みことばにこそ教会を成長させる力があります。(32)
ゆえに長老の務めは、みことばによる群れの養いに全力を注ぐこと
でした。
2、与える幸い
次にパウロは、自分の生活を模範として示します。
彼はテント造りの仕事により生計を立て、伝道しました。(33-34)
そして、弱い立場にいる人たちを助けてきました。(35)
これらを行ってきたパウロの心にには「受けるよりも与えるほうが
幸いである」との主イエスご自身のみことばがありました。(35)
このみことばは、四つの福音書には記されていません。
使徒の働きのこの箇所にだけ記されています。これは、教会に伝承
されていた、主イエスのみことばです。パウロはこのみことばを心に留
め、実践してきました。
パウロも初めから「与える幸い」に生きていたのではありません。
復活された主イエスにお出会いするまでは、彼は、教会を滅ぼそう
としていた者でした。
しかし、キリスト者を迫害する目的で道を急ぐ途上で、主イエスと
お出会いし、十字架と復活の恵み、主のご愛と赦しを知りました。
罪赦されたパウロは、新しくされ、主イエスに仕える者、みことばを
宣べ伝える者とされました。(使徒の働き9章p250参照)
パウロは、神様から大きな恵みとみことばを受け、与える幸いに
生きる者とされたのです。
メッセージを語った後、パウロと長老たちははひざまずいて祈り
ました。(36)
互いにもう二度と会うことはない、とのパウロのことばを聞いた長老
たちは心を痛め、皆が涙を流しました。(37)
彼らは、パウロを船まで見送ります。(38)
「五旬節の日にはエルサレムに着いていたい」と願ってパウロは船旅を
続けていきました。(使徒20章16節p277)
結 論) パウロや長老たちのように、私たちも、主イエスの十字架と
復活の恵みにより、罪赦され、新しくされた者たちです。
主イエスに仕え、従い続けたパウロは、私たちの模範です。
そして、主イエスのみことばと、みことばを行う生活こそ私たちに
幸いをもたらし、教会のよって立つ規準となります。
パウロが、「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさ
い。…」(使徒20章28節)と言ったように、まず私たち自身が、
神様の大きな恵みを受け、主イエスによって「牧される」
(「養われる」)必要があります。
神様に祈り、聖霊とみことばによって養われ、霊的に成熟させて
いただきましょう。
そして、「群れ全体」、教会のために祈り、仕える者、与える幸いに
生きる者とさせていただきましょう。