あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。
神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、
聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
使徒20章28節(p.277)
序 論)第三回伝道旅行の途上、パウロたち一行はエルサレムを
目指します。アソスからの船旅では、エペソには寄らず、ミレトの
港に到着しました。(14-15)
そこでパウロはエペソ教会の長老たちを呼び寄せて告別の説教を
します。(18) この「告別説教」を通して示されることは…
本 論)
1、神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰
パウロは謙遜の限りを尽くして人に仕え、数々の試練の中でも
主に仕えてきたのです。(19)
ここでの「益」(20)とは、イエス・キリストの恵みが教会と
キリスト者一人ひとりを通して表されることでした。
「ユダヤ人にもギリシヤ人にも」(21)は、ユダヤ人か異邦人かに
関係なくすべての人たちに、という意味です。
彼は「神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰」(21)という
福音の中心を余すところなく語ってきました。
そして、今、彼は聖霊の導きに従ってエルサレムに行こうとして
いました。(22) 聖霊も、そこでの「鎖(投獄)と苦しみ」を予告して
いました。(23)
しかし、パウロの願いはただ「…神の恵みの福音を証しする任務を
全うすること」だけでした。(24)
「謙遜の限りを尽くし」(19)は、新共同訳聖書では、「自分を全く
取るに足りない者と思い」(19)と訳されています。
キリストが示された謙遜にならい、パウロは教会に仕えました。 (ヨハネの福音書13章14-15節p.211)
(ピリピ人への手紙2章1-8節p396)
2、神がご自分の血をもって買い取られた神の教会
パウロは、今、語っていることがエペソ教会の長老たちへの最後の
言葉となることを予感していました。(25) そして、成すべき務めを
全うしたが故に、「私は、だれの血に対しても責任がありません」と
言い切ることができました。(26)
そして「神のご計画のすべてを余すところなくあなたがたに知ら
せた」(27)とあるように彼らに告げ知らせるべきことをすべて語り
続けてきました。
続いてパウロは長老たちに「自分自身と群れの全体に」
配慮するようにと命じます。ここには、具体的に個々の群れに対
して忠実であるようにとの切なる願いが表れています。この群れは
「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会」(28)です。
神である主イエスの十字架の贖(あがな)いによって罪の赦しが
なされました。そして、教会は罪の赦しをいただいている人たちの
集まりです。 (口語訳聖書では「神が御子の血であがない取られた
神の教会」と訳されている。これは父なる神が御子イエス様によって
贖いをなされたと解釈して訳されている。ギリシヤ語原文も二通りに
解釈できる言葉が用いられている)
さらに「神の教会」と言われているように、教会は神のものです。
そしてパウロが「キリストの教会」(ローマ人への手紙16章16節p324)と
呼んでいるようにキリストのものなのです。
結 論) 教会は、主イエスの十字架の血によって贖い取られた一人
ひとりによって建てられています。そして一人ひとりに大切な役目や
使命が与えられています。聖霊は今も、みことばを通して、教会の
群れを養い育て、導いておられます。
そのことを覚えて日々、歩みましょう。
パウロは、「…ですから、あなたがたに勧めます。私に倣う者と
なってください。」(Ⅰコリント人への手紙4章16節p331)と語りました。
パウロは主イエスを求め、主を模範とし、主と教会に仕えました。
私たちも、パウロに倣い、主と教会に仕えさせていただきましょう。