週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。
パウロは翌日に出発することにしていたので、人々と語
り合い、夜中まで語り続けた。
使徒20章7節(p.276)
序 論)前の章に続いてこの章でも、パウロたち一行の第
三回伝道旅行の様子が語られています。エペソでの騒ぎ
(19章23-40節)が治まるとパウロたちはマケドニアに向
かって出発します。(1)
彼らの旅の途中で起こった出来事とそのことを通して
示されることは…
本 論)
1、週の初めの日の礼拝
パウロたち一行は、マケドニア(ピリピ、テサロニケ、ベ
レヤなど)の教会を再訪しました。(2)
さらにギリシアで冬の三ヶ月を、風待ち、潮待ちして過
ごします。(3a) いよいよ船出という時に、ユダヤ人の陰
謀が発覚しました。身の危険を察知したパウロは、やむな
くマケド二アを経由して帰ることにしたのです。(3b)
パウロの同行者七人(4)は、各地の教会の使者でした。
彼らの任務は献金を携えて行くこと、そしてエルサレム教
会に異邦人教会の感謝を伝えることでした。
ピリピの港でルカがパウロと合流し、荒波を乗り越え、
五日かけてトロアスの港に到着します。(6)
その港には同行者七人が待っていました。(5)
トロアスの港町にパウロたちは七日間滞在します。(6)
週の初めの日(日曜日の夜)、人々は「パンを裂くために」
集まりました。これは、礼拝の中での「聖餐」のことです。
パウロが「語り続けた」とは、説教をしたという意味です。
(7) 説教と聖餐から成る礼拝が行われていました。
この箇所は当時、キリスト者が日曜日に集まって礼拝し
ていたことをはっきり示しています。
なぜ日曜日に礼拝が行われるのでしょうか。それは
イエス・キリストが復活されたのが週の初め、日曜日だか
らです。福音書は主イエスが復活されたのは、「週の初め
の日」であったと告げています。
(ヨハネの福音書20章1節p227等)
私たちも、主イエスの復活を覚えて、毎主日(日曜日)の
礼拝をささげます。
2、主イエスの最初の言葉
日曜日の夜、パウロの説教が夜遅くまで続きました。聴
いていた青年ユテコは、疲れていたのか、途中で眠り込ん
でしまい、窓から下に落ちてしまいました。(9)
パウロは、死んでしまったユテコの上に身をかがめ、抱
きかかえて、動転する周りの人たちに「…まだいのちがあ
ります」と声をかけ、静めました。(10)
そのとき彼は生き返ったのです。集会は続行され、その
後、パウロたちは出発しました。(11)
青年が生き返ったことで、人々は、大きな慰めを与えら
れました。(12)
トロアスからアソスまで、パウロは同行者と別れひとり
「陸路」をとります。(徒歩で一日の道のり)(13)
アソスでパウロを乗せた船は、小アジアの西岸伝い(ミテ
ィレネ、サモス島)を南下し、ミレトの港に到着しました。
(14-15)
「五旬節の日」(ペンテコステ)までには、エルサレムに
到着しようと旅路を急いでいました。(16)
結 論) トロアスの教会の人たちも青年ユテコの出来事を
通して、主イエスの復活の命、新しい命がここにあると
感じて帰路についたことでしょう。(12)
今回読んだ箇所に1節と2節の「励ます」と12節の「慰
める」という言葉があります。
聖書の元の言葉のギリシヤ語では同じ言葉です。
そして、聖霊が、「助け主」と訳されている箇所(ヨハネ
の福音書14章16節p214、26節p215)の元の言葉は
その派生語で「慰め主」と訳せる言葉が使われています。
教会は、「慰めの共同体」と呼ばれるように、聖霊によ
る慰めが与えられるところです。そして、復活の主につな
がっている私たちを通して、周りの人たちにも主にある慰
めと励ましが与えられていくのです。
復活の主の命に生かされ、聖霊とみことばの恵みに日々
あずかりつつ、歩みましょう。
(参考)
2021年1月20日
バイデン大統領の就任演説の中で引用された聖書の言葉
「夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある」 (詩篇30篇5節p.960)
就任式で詩を朗読したアマンダ・ゴーマンさんが詩の
中で引用した聖書の言葉
「彼らはみな、それぞれ自分のぶどうの木の下や、
いちじくの木の下に座るようになり、
彼らを脅かす者はいない。」
(ミカ書4章4節p1585)