愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れないようにしなさい。
兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
ローマ人への手紙12章9-11節(p.318)
序 論)パウロは、この手紙の前半(1~8章)で、主イエスによる罪からの救い、
義認や聖化の恵み等について語っています。そして、9~11章はユダヤ人の救い
について語ります。12章からはキリスト者としての生活について語ります。今回
の箇所から示されることは…
本 論)1、新たにされた心
主イエスのなされた救いのみわざにより私たちは、罪の支配から解放されて、
神のものとされました。キリスト者 (クリスチャン)はみな、神様に属する
聖徒です。
私たちが神の民とされたのは、神様の招きと一方的な恵みのゆえです。
私たちをご自分のものとしてくださった神様のご愛と恵みに応答し、
神様に自分自身をささげて生きることが礼拝です。(1)
しかし、天地を創造された神様を礼拝せず、被造物を神としてしまう「この世」
の現実があります。 (1章21~23節p.298)
パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。」(「この世と妥協しては
ならない。」(口語訳)(2)と警告します。私たちは罪の生活に逆戻りしやすい環境の
中で生活しています。そのような危険から守られる唯一の道は、聖霊によって
日々「心新たにされ」(2)、自分が変えられてくこと(霊的に成熟すること) です。
それによって、「神のみこころ、良いこと、神に喜ばれること、完全であること」を
見分け、それに従って歩むことができるようになるのです。
次にパウロは教会とは何かを語ります。教会は「キリストのからだ」であり、
キリスト者はその器官として、互いに調和を保ちながら、全体のために、失くては
ならない働きをします。(3-5)
2、愛によってなされるわざ
キリスト者は、それぞれ賜物を与えられています。そして、それらを隣人のために
用います。(6a)
6節後半から8節に「預言、奉仕、教え、勧め、分け与えること、指導、慈善」の
七つの賜物とそれを用いての働きを挙げます。賜物は、自分のためではなく、人を
生かし、教会を建て上げるために与えられているのです。
12章9節からは、聖徒たちに対して、あるいは社会に対してどう行動することが
神のみこころかを示しています。ここには様々な勧めが記されています。
これらの勧め全体の中心は、9節にあるように「偽りのない愛」です。それは表面
的な愛のわざではなく、キリストからいただく愛によってなされるわざです。
それは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」 (マルコの福音書
12章31節p.94)と言われる教え、隣人愛を実践することでもあります。
「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。…」(14)という命令は、当時、ローマ
で生活しているキリスト者にとっては特に重要なものでした。皇帝礼拝を拒否する
彼らに生命の危険が近づいていたのです。しかし、それに対して復讐するのではなく、
「善をもって悪に打ち勝つ」ことこそが神のみこころでした。(21)
今の私たちにとっても、教会は、互いの喜びや悲しみを共有する共同体であり、
互いに愛し合う訓練の場でもあるのです。(15)
結 論) 当教会の2021年度年間聖句としてローマ人への手紙12章11節の「勤勉で怠
らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」が示されました。
「勤勉で怠らず」は口語訳では「熱心に、うむことなく」と訳されています。
もともとの言葉(原語)のニュアンスは熱心さを意味する言葉です。
Ⅱペテロの手紙1章5節(p473)では「あらゆる熱意を傾けて」と訳されています。
かつて巡回伝道者だった故本田弘慈先生は「霊に燃え、主に仕えよ」の聖句を
よく揮毫しておられました。私たちもそれぞれが内にキリストの御霊、聖霊をいただ
いています。
御霊はみことばと共に働かれます。ローマ人への手紙をはじめとして、聖書の言葉
をさらに深く黙想しましょう。
みことばをしっかりとにぎり、御霊の助けを得て、共に主と教会に仕えて参りましょう。