ヨハネによる福音書14章1~7節

あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、
わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに
行くのだから。 
ヨハネ福音書14章1-2節 (p.164)

序 論) 主イエスが十字架にかかられる前の夜、主は弟子たちと食事をされ
ました。(「最後の晩餐」と呼ばれている)その中で、主イエスは弟子のペテロの
裏切りを告げられます。(13章36-38節) それを聞いて弟子たちは動揺しました。
主が弟子たちに語られたことは…

1、天に備えられた御国 
  主イエスは、弟子たちに「あなたは、心を騒がせないがよい。…」
(「心を騒がせてはなりません」新改訳2017)と言われ、父なる神様とご自身を
信じることを命じられました。
  「わたしの父の家」(2)は、父なる神様の御国のことです。
「住まい」は、神様が私たちと共におられるところを意味しています。
  地上の家がどんなに立派であっても、ある限られた期間しか住むことは
できません。しかし、父なる神の家は永遠の住まいです。主イエスはその
場所を備えに行こうとしておられました。(2)
  そして主イエスはすべての人を罪から救うために十字架にかかろうと
しておられました。主が弟子たちのところから「行って」(3)とは、
十字架で死なれることを意味しています。しかし、「また来て」(3)は、
三日目に復活され、弟子たちのもとに御姿を現されることを意味しています。
        (ヨハネ福音書20章19-29節 p.177)
  そして、「また来て」とは、復活された後、主イエスが天に帰られて、
弟子たちに聖霊を与えられることをも意味しています。聖霊によって、
主イエスは今も、私たちと共にいてくださっているのです。

2、主イエスによって御国に迎えられる
  続いて、主イエスは、「わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたに
わかっている。」(4)と言われました。
  その言葉を聞き、弟子のトマスが尋ねます。(5)   
  この質問をきっかけとして、主イエスは大切なことを教えられました。
  「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、
父のみもとに行くことはできない。」(7)
  主イエスが父なる神様のみもとに至る道です。そして、主イエスを通して、
私たちは天の御国に行くことができるのです。
  この後、では父なる神を見せてほしいと願うピリポに主イエスはさらに
「わたしを見た者は、父を見たのである。」(9)と言われました。
  神の御子イエス様の語られる言葉を聞き、行われたことを見た者は、
父なる神様を見た者なのです。このときのトマスや弟子たちは、主イエスを
通して、すでに父なる神を見ていたのです。
  私たちも、今、聖書を通して主イエスの言行を知り、主イエスがどのような
お方かを知って、父なる神様のご愛と恵みを知ることができるのです。
  主イエスは、十字架の死と復活によって、私たちの罪を赦し、永遠の命を
与える救いのみわざを成し遂げてくださいました。
  父なる神の家、天の御国は主イエスによってすでに備えられています。

結 論) 天の御国への道の導き手は主イエスご自身です。
  主イエスを信じ、従う者は、地上の生涯の終わりに必ず父の家(天の御国)に
迎えられます。
  今、主イエスと出会い、主と共に歩み、互いに愛し合う者たちはこの地上に
おいてすでに御国の恵みを前もって体験しているのです。
  父なる神様は私たち一人ひとりを顧み、愛を注いでくださっています。
神様の恵みからもれる人はひとりもいません。
  主イエスは聖霊によっていつも私たちと共にいてくださり、父なる神様の
みもとに行く道を共に歩んでくださいます。
  私たちのできることがたとえ小さく、わずかであったとしても、
主イエスに心を向け、主の成されたみわざを心に留め、これらから成される
みわざを信じて歩みましょう。