さて、一行は人々に見送られて、アンテオケに下って行き、会衆を集めて、その書面を手渡した。 人々はそれを読んで、その勧めの言葉をよろこんだ。 ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。
使徒15章30-32節 (p.208)
序 論) パウロとバルナバも出席したエルサレム会議で、使徒ペテロが語った後、使徒ヤコブが語ります。(12-21)このヤコブの発言が会議の決議となりました。エルサレム教会(ユダヤ人教会)とアンテオケ等の異邦人教会の分裂は回避されました。この決議をアンテオケ教会に伝達するために使者を派遣することになりました。その後に起こった出来事とそれらを通して示されることは…
1、聖霊の導きにより
使者として選ばれたのは、「バルサバというユダ」(「バルサバと呼ばれるユダ」新改訳)とシラスでした。(22)
手紙の内容(通達)(23-29)はすべての異邦人教会に宛られていました。(23)
まず、「ある人たち」(ユダヤ主義的キリスト者)(1)(5)の教えていたことの誤りを指摘します。(24)
そして、エルサレム教会の使徒たちが、パウロの説いていた福音に同意していることを伝えます。そして、パウロとバルナバを「われらの主イエス・キリストの名のために、その命を投げ出した人々である」(26)と賛えました。それは、彼らが異邦人伝道に賛同していることの現れでした。そして、20節でヤコブが挙げた四項目が列挙されていました。(28-29)
この手紙の最後の方に、「聖霊と私たちとは…決めた」(28)と書かれています。これは、使徒たちや長老たち、全教会が協議し、決まったことは、彼らだけで決めたのではなく、聖霊の導きによって成されたことを示しています。
この会議の出席者たちは、この最も重要な決定に際し、皆で共に祈って、聖霊の導きを仰いだことでしょう。
2、勧め、励まし、力づける言葉
パウロとバルナバは、使者のユダとシラスと共に、アンテオケ教会に向かいました。そして、教会に会衆を集め、決議事項が記された書面を手渡しました。(30)
アンテオケ教会の人たちに対して、決定事項が伝えられると共に、それに関する説明がなされたことでしょう。
手紙を読んだ人たちは励まされ、喜びました。(31)
「その勧めの言葉を喜んだ」は新改訳聖書では「その励ましによって喜んだ」と訳されています。
ユダとシラスは、預言の言葉によって、兄弟たちを励まし、力づけました。(32) 31節には「励まし」、32節には「励ます」という言葉が使われています。元のギリシヤ語の言葉は、「慰め」、「慰める」という意味も持つ言葉が使われています。そして、「慰める」という言葉の本来の意味は「傍ら(かたわら)に呼ぶ、傍らに招く」(自分のすぐそばに呼ぶ、招く)です。
アンテオケ教会の人たちは、ユダとシラスに傍らに来てもらい、その言葉によって、励まされ、慰められたのです。
使者たちはエルサレムに帰って行きました。(33) パウロとバルナバはアンテオケにとどまり、多くの人たちと共に宣教に励みました。(35)
大きな試みにあったアンテオケ教会(1-2)も、問題が解決し、ようやく落ち着きを取り戻したのです。
エルサレム会議は、福音がユダヤ人の文化・伝統の範囲内にとどまらず、世界中のすべての人たちに宣べ伝えられていくためにどうしても必要な会議でした。
結 論) 主イエスは、聖霊を「別の助け主」(「もう一人の助け主」新改訳)と呼ばれました。(ヨハネによる福音書14章16節 p.164)
この「助け主」と訳されている元の言葉は、32節の励ます、慰めると同じ語源から来ています。「傍らに呼ぶ者」という意味で、「慰め主」、「弁護者」、「執り成す者」とも訳される言葉です。
聖霊によって、主イエスは私たちの傍らに(すぐそばに) いつもいてくださいます。そして、聖書の言葉を通して、私たちを励まし、慰め、力づけてくださるのです。
主イエスを信じる私たちは、聖霊を内にいただいています。そして、周りの人たちに聖書の言葉を取り次ぎ、主にある励ましや慰めを与える者としてくださっています。
聖霊の励ましと力をいただいて、御言葉を宣べ伝え、主イエスを証しする者とさせていただきましょう。
(参考)
新聖歌146 (讃美歌191) 「いとも尊き」
聖歌201 題名「キリスト・イエスをもといとして」
(原題は「教会のただ一つの土台」)
3節の歌詞(日本語訳)
主の教会は こころみうけ
あらそいにあい なみだすとも
そのまぼろしを 主はよみして
ついに勝利を 与えたまわん