その町で福音を伝えて、大ぜいの人を弟子とした後、ルステラ、イコニオム、アンテオケの町々に帰って行き、 弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。
使徒14章21-22節 (p.206)
序 論) ルステラで、一人の足の不自由な人をいやしたパウロは、人々に礼拝すべきは天地の創造主である神様であり、自分たちはこの真の神に立ち返るように福音を宣べ伝えていることを語りました。(8-17)その後、ルステラ、小アジアの各地とシリヤのアンテオケ教会で起こったことを通して示されることは…
1、弟子たちを力づけた
ピシデヤのアンテオケとイコニオムのユダヤ人(パウロとバルナバに対して反対する人たち)はルステラまでパウロたちを追ってきました。(5) そして、イコニオムでは計画してもできなかった石打ちをパウロに対して行いました。(19)
そのときパウロは「死んでしまった」(19)と思われるほどの重傷を負いました。しかし、彼は奇跡的に回復し、次の宣教地のデルベに向かいます。(20)
デルべでは、宣教の結果、多くの人たちが、主イエスを信じ、弟子となりました。その後、パウロたちは迫害を受けた二つの町、ルステラ、イコニオム、そしてピシデアのアンテオケを経由して帰途につきました。来たときと同じ道を引き返したのです。それはそれぞれの町で誕生したばかりの教会に立ち寄って、信徒たちを励まし、力づけるためでした。(21) 「信仰を持ちつづけるように」(22)は、「この信仰にしっかりととどまるように」(新改訳)、「信仰に踏みとどまるように」(新共同訳)とも訳されています。信仰に留まるとは、主イエスを信じ、従う歩みを続けていくことです。
ここでの「神の国」(22)は、天の御国のことです。信仰の歩みにおける様々な苦しみ、霊的な戦いは、神の国に至る道の途上で起こってきます。けれども、それを積極的に受け止め、前向きに担い、戦っていこうとパウロは信仰者たちを励ましました。
2、神の祝福を受けて送り出された
パウロたちは、ルステラ、イコニオム、アンテオケ、それぞれの教会で長老たちを任命し、断食して祈りました。(22)それによって教会が整えられていきました。二人が町を去るにあたって、彼ら(教会)を主に委ねました。
一行はベルガからアタリヤに至り、船でシリヤのアンテオケに戻りました。そして「神の祝福を受けて送り出された」アンテオケ教会に帰ってきました。(25-26) ここは新改訳では、「神の恵みにゆだねられて送り出された所」(26)と訳されています。
アンテオケ教会の人たちは、二人を送り出すとき、必ず神の祝福があると確信をもって送り出したのです。(使徒13章2-3節 p.202) そして、「神の恵みに委ね」ました。実際にこの第一次伝道旅行(約1年半の期間と言われている)は、恵みに始まり、恵み(祝福)の内に終わりました。
アンテオケ教会で報告集会が開かれます。(27) 二人は遣わされた所で、苦難や迫害を経験しました。そのような中にあっても、その働きは祝され、彼らは恵みの報告をすることができました。それは彼らの力ではなく、「神が彼らと共におられた」(27)が故に成されたことでした。
そして、特に大きな成果は、異邦人に「信仰の門」が開かれたことでした。(27) その知らせを聞いたとき、多くの異邦人信者がいたアンテオケの教会の人たちはどれほど喜んだことでしょうか。
結 論) 信仰の土台は、私たちの気持ちや心の持ちようではなく、神様が主イエスによって私たちのために成し遂げてくださった救いのみわざです。私たちは、それを信じ、心に受け入れます。
「信仰に留まる」とは、主イエスを信じ、委ねつつ歩むことです。主イエスと結ばれ、み言葉と祈りによって交わりを持ちつつ歩むことです。
パウロもバルナバも、この信仰にしっかり留まり、歩み続けた人たちです。
私たちが歩もうとする信仰の道には、その道から逸らそうとする悪の力が働き、様々な誘惑があります。しかし、主イエスは聖霊とみ言葉によってそれらに打ち勝つ御力を与えてくださいます。そして神様が必要なときに私たちを励ましてくださる人を与えてくださいます。また、私たちは互いに励まし合うことができます。
主イエスを信じ、従う者には恵みが約束されています。主の恵みを受け、恵みの証しをすることができます。神様の祝福と御守りの中、御国に移されるまで主に従う地上での歩みを続けてまいりましょう。